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2007年1月31日 (水)

運転免許証更新

昨日1/30(火)、運転免許証を更新した。所要時間、わずか30分。便利になったものだ。

一応、ゴールドの優良ドライバーだ。10年以上、無事故・無違反ということになっている。

「一応」とは、2つの意味がある。ひとつ目は、ここ10年以上、車に乗る機会が少なかったということだ。2年前までの在職中、10年間単身赴任だった。内勤だったので仕事で車に乗ることもなかった。週末に帰宅しても、ほとんど各種の資格試験準備で学校に通っていた。

二つ目は、もちろん、バレなかったということだ。ぼーとしていて、通り過ぎて赤信号だったことに気が付いたり、車線変更違反は、数限りない。故に、ゴールドと言っても、あまり自慢にはならない。せいぜい、免許更新の短縮に寄与する程度だ。

私が運転しない分、妻はうまくなった。もともと運転は嫌いな方ではなかったようだが、今は500km彼方の友人宅でも、平気で1人で運転して訪問している。私が独立したように、妻もどんどん「独立」している。これをどう解釈するかは、見解の分かれるところだ。

娘2人も、最近免許を取ったため、さらに運転する機会が減った。今は車に乗っても、後部座席に直行することが多くなった。後部座席が、あんなに楽だったとは、忘れてしまっていた。今後は、さらにゆっくりさせてもらうことにしよう。寝ている間に、プラチナカード(そんなカードはないが)が転がり込んでくるかもしれない。

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2007年1月30日 (火)

人体の不思議展

今、自宅近くのSスーパーアリーナで、「人体の不思議展」を開催している。皆さん、ご覧になっただろうか。私は、数年前、東京国際フォーラムで開催されたとき、見学に行ったことがある。

展示されているのは、生前に献体の意思表示をされた方の本物の人体である。これが、プラストミック製法という特殊な樹脂状の液体で処理され、実に精巧な標本として蘇っている。

見に行く前は、少し抵抗があった。しかし、展示室に入るや否や、目を奪われた。その人体の精緻な構造に。血管や神経の束は、見る者を圧巻する。その上、触ることを許された人体もあった。弾力性のある標本に、驚いたものだ。

出口付近に、脳みそを手にして重量を実感させるコーナーがあった。ここまで来ると、もう好奇心の塊である。再度、振り向いて、もう一度会場へ戻ったものである。

我娘にこの話しをしたら、さっそく見に行った。お土産に脳みその絵葉書を買って来て、今も自分の机の前に飾ってある。Sスーパーアリーナにも行ったそうで、今度は骸骨の模型を買って来た。

大学で理学部生体制御学科にいるとは言え、「大丈夫か、お前?」と思わず言いたくなった。

しかし、どのような方が、この献体を申し入れたのだろうか。これは、勇気ある行動だと思う。まさに自分の身を投げ打って、科学のために貢献しているのだから。

思わず、「ありがとう」と、つぶやいてしまった。これも人が見たら、かなり異常な行動に映ったかもしれない。

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2007年1月29日 (月)

弱さをさらして強くなる

日経ビジネス07年1月29日号を読んでいたら、最後のページに「弱さをさらして強くなる」というタイトルを見つけた。話しの主は、平尾誠二氏であった。言わずと知れた神戸製鋼所ラグビー部で7年連続日本一に導いたラグビーの神様である。現在は、NPOスポーツ・コミュニティー・アンド・インテリジェンス機構(SCIX)を設立され理事長に就任されている。

経験から出た言葉の重みを感じさせる名言が、ずらりと並んでいた。
・リーダーに求められる資質の1つは、自分の弱さを自覚し、向かい合うことだ。
・問題は弱みがあること自体ではない。自信のなさや不安から、他人との間に壁を作ってしまうことにある。
・弱さを認めて、葛藤しながらでも正面から向かい合った時、弱みは強みに変わることもある。

ずしりと来る内容ではないか。続けて、こう述べている。
・弱さを認め、それを克服しようとする姿勢が、人を鍛えるのだ。
・僕は、弱さは強さの対極にあるものではないと思っている。
・それに、人間というのは、弱みを持っているからこそ、他人に共感を与えられるのではないだろうか。
・人を動かすには、能力以上に人間的魅力が重要なのだ。

まさに、そのとおりと思う。そして、こうも言う。
・人は、自信があり過ぎても慢心につながるし、不安や悩みがあまりに高まれば決断に迷いが生じる。
・自信と不安のバランスをうまく保つことが、実は重要なのだ。

そこから、組織論に移る。
・組織も同じだと思う。自信と不安のように相反するように見えるもの、いわば矛盾を抱えながら進化していくものだからだ。
・状況に応じて、自由を選択することもあるし、規律を重んじる場面もある。
・我々は、本来、矛盾をいくつも抱えて生きている。その矛盾を潤滑油としてうまく使いこなすことができた時、人や組織は強くなる。

ヘーゲルの弁証法に「矛盾の止揚による発展」の法則というのがある。

田坂広志氏は、それを次のように説明している。

「すべての物事には、その内部に矛盾が含まれているが、その矛盾こそが物事の発展の原動力となっていく。そして、この矛盾を機械的に解消するのではなく、それを弁証法的に止揚したとき、物事は発展を遂げる。

器の大きな人物

それは、心の中に、壮大な矛盾を把持し、その矛盾と対峙し、格闘し続けることのできる人物。そうした人物に贈られる言葉なのでしょう。」

すばらしいではないか。共に奥の深い言葉である。

パラドックス・マネジメント

この言葉が、今、頭を過ぎった。

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2007年1月28日 (日)

ヤマト発進!

遂に昨日、ヤマトが発売になった。あの宇宙戦艦ヤマトの1/350スケールプラモデルである。発売日の前日である1/26(金)に、待ち切れずに有楽町のビッグカメラに行って見た。ディスプレイが既に展示されているもしれないと思ったのだ。

でも、どこにも見当たらない。ビッグカメラにないはずはない。店員に聞いてみた。「ヤマトはどこですか。」と。そうしたら何と「売り切れました。」との返事。

発売日は明日なのに、既に売り切れ?ええ、どうなっているの?勇姿も拝めないのか。よく事態が飲み込めないまま、その場を去った。要は、予約販売で完売だったようだ。

しかし、47,250円もする代物である。そう簡単には買えないだろうと思っていた私が甘かったのか。買うか買わないかは、やはり現物を見ないと、私は決心がつかなかったのだが。

帰宅して、改めてビッグカメラのHPを見た。そうしたら、何と39,790円でネット販売されていた。そして「完売しました」のお知らせ。

次に、アマドンドットコムのHPを見た。37,750円。在庫あり。おまけに商品説明の動画まで用意されていた。やはり、ネット販売の実力の差か。消費者の心をよく分かっている。

食い入るようにビデオを見た。しかし、やはり細部は分からない。どこかで本物を見てチェックしたい。そして、遂に「購入ボタン」をクリックすることはなかった。変な所で、慎重な自分を再発見した。

こんな事を思っている内に、呉の大和ミュージアムに行きたくなって来た。そこには、1/10スケールの戦艦大和が展示されている。

ヤマトがこれ程までに私を引き付ける魅力は、何なのだろうか。
誇り、勇気、信念、愛、自己犠牲。

自分の心を確かめるためにも、やはり現物に会う必要がありそうだ。宇宙戦艦ヤマト、そしてその原点の戦艦大和、今年、両方に必ず会うことを誓った。今日も「真っ赤なスカーフ」を聞きながら、床に就くこととしよう。

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価値観を探る

皆さんは、自分の価値観って何だろうと、考えたことがあるだろうか。自分の至らなさを思い知らされるようで、少し怖い感じもする。でも、一方で、本当の自分を知りたいという欲求も否定できない。

1/26(金)に行われた、キャリアカウンセラーであるH氏主催のセミナーで、この課題に取り組んだ。

59個のキーワードから、まず15個を選ぶ。その中から、さらに7個を選ぶ。そして最後に、3個に絞る。そして、そのキーワードを使ってショートセンテンスにまとめる。そうすると、自分の価値観が浮かびあがって来る。ここで出て来る内容は、キャリア上の価値観。つまり、自分の生き方そのものの捉え方が、見えて来るという寸法である。

私の場合、以下のような文章となった。

「自他共に"信頼"されながら、"未知への挑戦"を常に求め、
人に"感激や感動"を与える人」

うーん、まさにそのものズバリである。

MITのエドガー・H・シャイン教授がキャリア・アンカーというキャリア指向性(仕事や職業から見た人生の価値の方向性、能力・興味・価値についてのセルフ・イメージ(自己像))を示す概念を提唱されているが、そのアセスメントでも、同じような結果を得た。

「自分を知る」ということは、何よりも深い究極のテーマなのかもしれない。
人間だからこそ行う営み。

これからも、折りに付け、自分を見つめ直して行きたい。

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2007年1月27日 (土)

お宝って何だろう。

「お宝って何だろう。」、このタイトルで今日は始まった。NHK総合の「課外授業 ようこそ先輩」である。今日は、古美術鑑定家の中島誠之介氏が先生となり、母校の東京 赤坂小学校を尋ねた。

バラエティで見る中島氏とは、また違った中島氏がそこにいた。子供達を見つめるやさしいまなざし。

「学校の中でお宝を探しておいで」の問いかけに、子供達はさまざまな品を探してきた。剥製のワシとか、額とか。そこで中島氏曰く。「モノだけでなく、それを作った人の心を尋ねることが大事」と。

翌日、子供達が、自宅から思い思いの宝を持って来た。サッカーボールあり、本あり。その中で、中島氏が涙したものがあった。1枚の写真である。小3の時に亡くなった父親と一緒に写った写真を大事に持ってきた少女。その健気な姿に、自分の姿を映し見たのだろう。中島氏は、1歳の時に両親が亡くなっていたのだ。「最高の宝だね。」とやさしく返した言葉に思わず、私も涙腺が緩んだ。

「本当の宝は、心の中に生きている。」
「思い出、心、これからも大事にしたいこと。お金ではないんだよ。」

子供達は、今日、新たなお宝を手にしたのかもしれない。

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JET STREAM

JET STREAM(ジェットストリーム)、久しぶりにこの名を耳にした。1/25(木)に放映されたテレビ朝日「報道ステーション」の60年代ラジオ深夜放送の特集でだ。オールナイト日本やパックインミュージックと共に紹介され、懐かしさを感じ得なかった。

JET STREAMは、現在も放送されている。しかし、今は全く聞いていない。時間がないこともあるが、やはり城達也のナレーションが聞けなくなってしまったのが、大きな原因だ。

あの声は、最高だった。堀内茂男が書いた「夜のしじまの何と饒舌なことでしょうか。」のくだりは、忘れるにも忘れようがないほど、痺れるものだった。

もし、この世を去るとき、聞きたい曲は何かと聞かれたら、城達也ナレーション入りの「ミスター・ロンリー」と、迷わず答えるだろう。

まさに夜間飛行をしながら、心静かにあの世に飛んで行くというのに、ぴったりの設定だ。

実は、その昔、JALが製作したJET STREAMのCD10枚組みを持っている。もちろん城達也の声も入っている。長い間、仕舞い込んでいたが、また、引っ張り出して来よう。限りない夜空を、空想の世界で飛ぶのも、また格別のものがある。

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永遠のラリードライバー

日本を代表するラリードライバーは誰かと問われれば、篠塚健次郎と答える方が多いのではないだろうか。

三菱パジェロに乗り、1997年に日本人で始めてパリ・ダカールラリーで優勝したつわものである。

今日、日経ビジネスオンラインを見ていたら、その篠塚氏が、昨年12月に「ラリーバカ一代」という半生記を出版されているのを知った。前から興味のある方だったので、さっそく購入して読んだ。

やはりという感じがした。決して気負わず、あくまでも謙虚。2002年に53歳で退職するまでの30年間、三菱自動車のサラリーマン・ドライバーとして世界を舞台に活躍した。決しておごらず、組織人としての立場と行動をわきまえたバランス感覚抜群の方だ。

サラリーマンでもここまでやれる。いや、サラリーマンだったからこそ、ここまでできたと数箇所で強調されていた。まさに、サラリーマン現役の方に、これは必読書かもしれない。

篠塚氏は著作の中で、ラリーは「何が起きても動じない冷静さと集中力、洞察力が不可欠」と書いている。まさにこの言葉が、篠塚氏自身の本質を表わしていると言ってもいいのでないかと思った。

かなり前になるが、NHK総合の「課外授業ようこそ先輩」に、篠塚氏が出演されたことがある。母校の小学校にパジェロを持ち込み、小学生にラリーの面白さや過酷さを教えていた。そこでも、淡々と語る篠塚氏に全く気負いはなかった。

夕陽に顔を紅く染めて、サハラ砂漠を疾走するパジェロ。過酷な自然との戦いを喜びとし、1日を走り切ることだけを考えて、ひたすら無心に車を操る。

篠塚氏の魂は、今も常にラリーを続けているのであろう。

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2007年1月25日 (木)

TOPPOINT

「TOPPOINT」という雑誌をご存知だろうか。京都にあるパーソナルブレーンという会社が出版している月刊誌だ。市販はされておらず、通信販売でのみ購入できる。

毎月9冊の新刊書と1冊のロングセラーを、それぞれB5見開きで合計4ページで要約し、送り届けてくれる。

これが、とても優れものだ。単行本を月10冊読むというのは、速読術でも心得ていない限り、とても無理。でも、この月刊誌は、それを可能としてくれる。要約もしっかりしている。まさにエッセンスを知るには、もってこいの代物である。

読んで気に入れば、書店に行って本物を探せばいい。これで何冊も購入した。

ご興味のある方は、HPを検索して頂ければ、より詳細に中味を知ることができる。サンプル誌も確か送ってもらえたと思うので、これはという方は、HPから注文されるのもいいかもしれない。

今後も、仕事の効率化や整理に役立つ情報を、提供して行きたい。

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2007年1月22日 (月)

第4の盾

第1の盾、それは、「会社」という強大な盾。堅牢な石でできている。居心地のいい生活。しかし、外の世界は全く他人の世界。まさに井の中の蛙状態。生気を吸う諸刃の盾。

第2の盾、それは、「資格」という威厳の盾。輝く金属でできている。持っていれば尊敬される。しかし、それはその資格を目指している人から見たときの話し。上には上がいる。自己満足の状態。過信の盾。

これらの盾は、「跳ね返す」ための盾。

第3の盾、それは、「ネットワーク」という共有の盾。メッシュでできている。外敵を防ぎ、なおかつ外から養分を吸収してくれる。仲間とともに守りあい、相互研鑽して成長することができる。シナジーの盾。

この盾は、「選択的透過性」を有する有難い盾。

第4の盾、それは、「自己認知」という受容の盾。ゼリーでできている。すべてを柔らかく受け止め、自分と同化させていく。あくまでも自然体。変幻自在の盾。

この盾は、「自ら成長する」究極の盾。

第4の盾は、コアに密着し、やがて一体となる。「守る」のではなく「共にある」。

盾を自分に取り込んだとき、初めて見えなかった自分が見えて来る。

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2007年1月21日 (日)

盾(シールド)

あなたにとっての「盾(シールド)」は何?と尋ねられたら、あなたはどう答えるだろうか。

今日、仲間で行ったキャリアカウンセラーの勉強会で、自分の盾についての考えを披露する場面があった。この問は簡単なようで、実は奥の深い質問であるように思う。なぜならば、自分を守る盾、逆にいうと、自分が大事にしているものが何かが見えていないと、それを守る盾もまた、見えて来ないのではないかと思うからである。

私を守ってくれていた盾は、今まで数多くあった。外敵から私を守る盾。幼い頃は親が盾であったろう。次に学校であったり、先生であったり。就職すると会社という盾が、社会的地位や経済的な生活を支えてくれた。

すべて有難い盾だ。盾がないと活きていけない。でも本当にそうなのだろうか。

私は、今まで自分で盾を作ったり、壊したりして来た。一番大きな盾を壊したのは、会社を早期退職したときだったと思う。人から見ると、鉄壁のような盾。でも私には私の生気を吸い取る「諸刃の盾」だった。

会社の盾を壊すとき、やはり怖かった。だから代わりの盾を作った。「資格」という盾だ。しかし、独立して分かったが、これも盾として不十分だった。プロの世界に、資格の有無は、あまり関係なかったのだ。ここで気が付いた。盾とは外敵から自分を守るためのものではなく、自分を活かすためのものではないかと。

一旦盾を外し、改めて装着した盾は、メッシュでできた盾だ。透過性のある盾。私を守りつつ、必要な養分を透過してくれる有難い盾。「仲間によるネットワーク」という盾だ。今までの盾のように目には見えない。形もそのときどきで変化し、メッシュの目の粗さも変化する。しかし、今、この盾が自分を活かしてくれていると、実感している。

この第3の盾、メッシュの盾が、私にとって掛け買いのないものであることに違いはない。しかし、私の心の底から、さらに第4の盾を求める声が聞こえて来ている。限りなくコアに近づいた第4の盾。

長くなってしまったので、この第4の盾については、改めて記すこととしたい。

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2007年1月20日 (土)

nEQの広場

今日、mixiの中に「nEQの広場」というコミュニティを立ち上げた。

前から開設を考えていたが、昨年、「nEQヒューマンアナリスト」の資格を頂いたため、これを契機に、立ち上げることとした。

日本人のためのEQ能力であるnEQについては、これまでにも、このブログで取り上げて来た。「自己対応能力」「他者対応能力」に加え、「社会性」「精神性」の領域にまで踏み込んだ、深い内容を持った能力の考え方である。

自分としては、世のため、人のためのnEQ能力向上を、ライフワークにしたいと考えている。しかし、具体的なアプローチ法は、まだ持っていない。無理やりノウハウを作り出すのではなく、熟して実が落ちるが如き悠久のときを経ながら、何かをつかんで行きたいと思っている。

多分、ゴールには、永遠に辿り着けないだろう。故に、その過程を大事にしたいと思っている。そのため、大いに語り合う場として、「nEQの広場」を立ち上げた次第だ。

ただし、1ヶ月間の間に、メンバーが増えなければ、自動的にコミュニティそのものが削除されるそうだ。このブログを読んで、おもしろそうだと思った方は、ぜひmixiに登録し、「nEQの広場」のメンバーになって頂きたい。

今年は、このような出会いの場を、これ以外にも、自ら創設するような動きを起こして行きたいと考えている。ご協力をお願いしたい。

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007カジノ・ロワイヤル

昨日、「007カジノ・ロワイヤル」を見て来た。21作目というから驚きである。ボンド役は、6代目となるダニエル・クレイグだった。

いつもの「Q」作成の秘密兵器らしきものはなかったが、携帯電話の未来機能を存分に見せてもらった気がした。

思い起こせば、「サンダーボール作戦」を見たのが小学生のときだった。ということは、40年位続いているシリーズということになる。大したものだ。

小学生のときから、「007」と「ナポレオン・ソロ」と「スパイ大作戦」が大好きだった。今もそれは変わらない。

よく、あんな風に世界を股に掛けて活躍できれば、楽しいだろうな!と思ったものである。しかし、まあ映画の中の世界だから、そんなのんびりしたことが言えるのであろうが。

これからも、007シリーズを愛し続けて行きたい。

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2007年1月19日 (金)

学びて足らざるを知る

昨日1/18(水)、すばらしい講演会に参加して来た。立教大学経済学部教授 山口義行教授の講演である。山口氏は、関東経済産業局「新連携支援」事業評価委員長を務められており、昨日は、その委員長の立場からの中小企業再生へ向けての講演だった。

これからの中小企業への必要な支援として、3点挙げられた。①再生支援、②承継支援、③ネットワーキング支援 である。

そのうち、今日は、③が主な講演対象であった。

内容の詳細な記載は省略するが、印象に残ったことばを紹介したい。
・「時代を味方にする経営者」が、優秀な経営者である。
・デフレ脱却とは、付加価値を取り戻すことである。
・そのためには、経営者の「自己革新力」が必要である。
・視点を変え、視野を広く持つことが大事である。
・問題意識を与える経営者の発言が、会社を変える。
・「うちは何を売る会社だ」と従業員に問い掛けて欲しい。

視点を変え、知恵を働かせ、挑戦するたびに、「何が足りないか」が分かってくる。そこに他社との連携、地域との連携が生まれて来るという。

「学びて足らざるを知る。」

いいことばではないか。誠実さ、謙虚さ、奥の深さ、そして未知の世界に臨もうとする静かなエネルギーを感じることばではないか。

自ら体験した事例を分かり易く紹介され、また、プレゼンとしても引き込まれる魅力ある話しぶりであった。中小企業診断士としては、数々の「学び」のあった一夜であった。

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2007年1月12日 (金)

筆跡心理学の心得

昨日1/11(金)に、筆跡心理学のセミナーを受けて来た。講師は日本でこの道の第一人者の根本寛氏だった。

非常に興味深い内容であった。まあ、筆跡がその人の性格を表わしているだろうと想像はしていたが、具体的に「これはこう」と伺うと、「なるほどね」という面白い気付きの連続であった。

字のうまいへたではなく、ハネの強さを見たり、縦棒の長さをみたり、僅かな部分から、その人の深層心理を読んでいくとのことであった。

説明の度に、芸能人や政治家、スポーツ選手の例が紹介され、これも面白かった。

筆跡心理学は、欧米では100年以上の歴史があり、「グラフォロジー」と呼ばれ、大学にも講座があるそうだ。特にフランスでは、「筆跡診断士」と呼ばれ、弁護士と肩を並べるほど高度な国家資格とのことである。

根本氏は、筆跡心理学を経営判断に活かし、中小企業診断士としても活躍されている。また、筆跡鑑定人として遺言書等の真偽鑑定もされている。

最後に話された「筆跡鑑定で日本のトップになりたい。」との言葉が印象的であった。ちなみに日本では、筆跡鑑定人の実力レベルが低く、まだ世の中に対して、十分に適正な貢献をしていないとのことであった。私利私欲ではなく、筆跡道を究めたいという、一途な心をそこに見た。

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2007年1月 8日 (月)

高専ロボコンに思う

今日、昨年11/26(日)に行なわれた高専ロボコン全国大会の模様を、NHKの再放送で見た。いやー面白かった。まさに若者の知恵とアイデアとパーフォーマンスの真髄を見せてもらった。

今年で19年目とのことだったが、今回は高専ロボコン史上、最も難しい課題だったそうだ。確かに10KG近いロボットが、お堀を渡ったり、シーソーをしたり、ジグザグ走行のうえになわとびまでするとなると大変だ。

いろいろな状況に対応できるロボットは、違った機能を要求される。25チームで競ったのだが、皆、それそれの発想を活かし、これらの課題をクリアしていた。

でも、見ていて、これは単なる技術力のコンテストだけではないと思った。各校の製作途中の映像も流れたが、そこには、廃材を求めて地元のアルミ業者を尋ねたり、特産品のオブジュを小学生に作ってもらうため小学校を訪問したりという人との触れ合いの場面が映っていた。そして、テレビ画面には、それらの方々が応援する姿も映っていたのである。

一緒に応援し、一緒に喜び、一緒に沈む顔があった。

ゲスト出演していた角田信郎さんが言っていたが「ロボコンには人生が詰まっている」である。まさに汗と涙のドラマが繰り広げられていた。

この前は、高校生のダンス大会を見た。これも感動した。しかし、派手さはないが、ロボコンにも感動した。これらの経験は、彼らを大きく成長させることだろう。若者が何かに打ち込む姿を見ると、思わず「がんばれ!」という声が出るようになってしまった。

元気をもらった1日だった。

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2007年1月 4日 (木)

心技体

武道でよく言われる「心技体」という言葉。実にバランスの取れた、素晴らしい言葉である。私はいつも、この言葉を、自分の生活のバランスを取るチェックに使っている。

しかし、独立して思うのは、この3文字の順序が、これでいいのかということ。実際には「体心技」の順であると思う。「体」が脆弱だと、それで一巻の終わりである。サラリーマンは有給休暇や病欠があるが、自営業はそうは行かない。

「技」も、もちろん磨く必要がある。しかし、「技」を勉強するだけでは、借り物の世界で成長するには限界がある。最終的には、自分で「技」を創造することを求められる。この創造の世界に入るには、「技」を超越するエネルギーが必要となる。

ここで登場するのが「心」である。私の周りには、すばらしいプロの方々が大勢いらっしゃる。皆さんに共通して言えることが、「心」豊かだということだ。教養に裏付けられた実に豊かな精神世界をお持ちだ。

私は今まで、「心」の修行をする機会を逸して来た。これは言い訳になってしまうが、「体」と「技」を優先して来たところがある。「体」と「技」を結ぶ「心」がしっかりしていないと、やはりプロとは言えないだろう。

今年は、「心」を鍛える何かをしたいと考えている。我「心の元年」である。独立3年目になるので、ちょうどいい時期かもしれない。

その方法として首都圏の「美術館巡り」をしようかと考えている。絵画や彫刻は、前から好きだった。これだったら、時間の隙間を縫って回ることができる。「鎌倉のお寺巡り」もしたいが、遠いので無理だろう。ご朱印を集めながら巡るのは、さぞ楽しいと思うのだが。

昨年は、本格的に「歌」を習おうと考えたが、思っただけで終ってしまった。習おうと考える当たり、まだ「技」の呪文から抜け出していない証拠だったのかもしれない。

すばらしい「絵」や「彫刻」と向き合うことで、何かが得られれば素晴らしいことである。三日坊主にならぬよう、心してこの1年に臨みたい。

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栗林忠道中将

柘植久慶氏の書いた「栗林忠道」を読んだ。淡々とその戦闘シーンが描き出されていた。しかし、従来の作品に見られたような迫真の描写はなく、むしろ、激戦の中における栗林中将の冷静さが際立つように意識して書かれた感じを受けた。

それは、相手側指揮官であるホーランド・M・スミス中将の激昂ぶりと対比して書かれているのと対照的である。今までの日本軍人とは違う、もうひとつの日本軍人のイメージが、見事に表現されていた。

硫黄島戦闘進捗図や西太平洋地域図が挿入されていたので、地の利がよく分かった。また実写の写真も挿入されており、それらが無言で当時の凄惨さを伝えていた。

まえがき、あとがきも見逃せない。栗林中将の素顔や経歴が、細かく記されている。それも活きた情報だ。柘植氏は、従軍当時、百科事典(エンサイクロペディア)とあだ名されていたそうだ。その豊富な知識量は、本当に驚嘆に値する。それらは多分、強靭な肉体と精神力に支えられた集中力のなせる技なのだろう。やはり、柘植氏もただ者でないということだ。

栗林中将が戦死したのは1945年3月26日だった。しかし、その後も5月中旬まで抗戦が続いたということである。司令官なき後も、戦い続けた方々がいたことに、改めて驚いた次第である。栗林中将の祖国を思う気持ちが、ひとりひとりに行き渡っていたということだろうか。改めて、散って行った方々に、哀悼の念を表したい。

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2007年1月 2日 (火)

フロントミッション

フロントミッションというテレビゲームをご存知だろうか。スクエア・エニックスが作成した戦闘RPGシミュレーションゲームだ。ヴァンツァーという有人ロボットをパーツを集めて組み立て、部隊を構成して、ミッションをひとつひとつクリアしていくゲームだ。

現在、シリーズ5まで製作・発売されている。1作目は、スクエアによるスーパーファミコン仕様だった。それ以降プレイステーション、プレイステーション2と進化を遂げて来た。とても複雑なゲームなので、どこまで受け入れられるかと思ったが、やはり同志は根強くいたと言うことだ。

遊ぶ時間が最近なくなってしまったため、まだシリーズ4の途中までしか追いついていない。定年退職してからじっくりやろうとのんびり構えていたが、定年10年前に独立し、一生定年がなくなってしまったため、いつ再開できるか、頭を痛めている。また、シリーズ5が出たうえに、オンラインゲームも昨年から始まっている。これは、何としても時間を作らなければ、一生後悔することになる。

でもまあ、こうやって一日ブログを書いている時間があるのだから、要は優先順位の問題かもしれない。ゲームは確かに面白いが、疲れるのも確か。特にシミュレーションゲームはいろいろ考えるため、気分転換にはなるが、頭は使い通しということになる。ほどほどにやるのが、やはり年相応ということだろう。しかし、おもしろいゲームである。

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宇宙戦艦ヤマト

「宇宙戦艦ヤマト」を覚えているだろうか。1974年にテレビ放映された、松本零二作のSFアニメーションである。

当時からファンで、今でもCD、ゲームを保持し、カラオケで「真っ赤なスカーフ」を熱唱するほどだ。これ以上の冒険アニメは他にないだろう。手塚治の「鉄腕アトム」や宮崎駿の「天空の城ラピュタ」も捨てがたいが、何せ宇宙が舞台だからスケールが違う。まあ、それぞれの作品の性格が違うから、比較する方がナンセンスではあるが。

昨年12/4に、バンダイが、この宇宙戦艦ヤマトの1/350スケールプラモデルを発売すると発表した。朝日新聞にも掲載されたという代物だ。

バンダイのHPを見ると、プレスリリースで詳しい内容が記されていた。全長766mmという堂々たるプラモである。お値段は、税込み47,250円。かなりいい値段だ。

小学生の頃、「戦艦大和」の700mmプラモが、2,000円で売られていたのを記憶している。当時は、100円程度のプラモしか買えなかったので、その20倍の値段に「スゲーさすか大和だ。」と驚いたものである。

今回は、その「戦艦大和」の22.5倍の値段だ。しかし、空こそ飛べないが、ラジコンで主砲、副砲等を操作でき、波動砲のエネルギー注入音まで再現されていると言うから、これはもうファンとしては垂涎ものである。

買うか買わないかはともかく、一度はその雄姿を拝みたいものである。全国の模型店・玩具店、百貨店・量販店で2008年3月末まで発売されるというから、ご興味のある方はぜひ足をお運び頂きたい。

夜暗くした部屋で、CDを流しながら、その雄姿を照明で浮かび上がらせたら、これはもうイスカンダルへ行くしかないという気分だろう。やはり、男にはロマンが必要だということだ。これしかない!

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柘植久慶という男

柘植久慶という男をご存知だろうか。強靭な肉体と精神の持ち主である。と言ってK1の選手ではない。それ以上にすごい猛者なのだ。

1942年愛知県生まれ。1961年に慶応大学法学部政治学科入学。この年の夏休みに傭兵部隊の一員としてコンゴ動乱に参加。以降、フランス外人部隊の格闘技教官、ラオス政府軍の格闘技教官、アメリカ陸軍特殊部隊グリーンベレー大尉の経歴を持つ、筋金入りの軍人だ。今の日本人から見れば、常識を疑う生き方を選択した人物ということになるだろう。

1985年から作家活動に入ったと聞いているが、私が最初に出会った本は1986年に発行された「サバイバルバイブル」だった。アウトドアに凝っていた時期で、究極のサバイバルが戦場であることに気付き、軍用のグッズを買い求めていたときであった。

はじめ、「傭兵」と聞いたとき、ピンと来なかった。未だにそんな世界が存在していたのかと。しかし、現に存在していた。それから、なぜその道を選んだのか、柘植氏の生き方にたいへん興味を持つようになった。

彼の生き方を、誤解なく伝えるのは、この紙面だけでは語り尽くせないところがある。なぜならば、それほど日本人の理解を超える世界に住んでいたからだ。しかし、これだけは、はっきり言える。それは、行為の善悪はともかく、自分の命を掛けて自分の進む道を貫き通すその意思の強さを、だれも否定することはできないと。

柘植氏の主な著作は、ほとんど読んだ。何回も繰り返し読んだ本も多数ある。そこに書かれた内容を、どう解釈するかは、読者の自由だ。しかし、私はこの方を尊敬している。その意思の強さに尊敬の念を抱かざるを得ないからだ。そこには、死と向き合って、なお自分を見失わない怖いくらいの凄さを感じる。

昨年12月に、栗林忠道中将の本を出版された。今、上映されている「硫黄島からの手紙」の主人公である。映画も見たが、この栗林という軍人を、柘植氏がどう描いているか、たいへん興味がある。今、近所の書店に電話したら在庫があるというので、取り置いてもらってある。これから受け取りに行って、柘植氏が見た栗林中将を確かめたい。

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書くということ

久々にまとまった時間ができたものだから、次々と書きたいことが出て来る。本当は、来週から始まる激戦に備え、今日から仕事の準備を始めなければならないのだが、なかなか筆が進まない。でも、このような機会がないと、書きたいことも書けないので、ここは後で後悔することを省みず、気の向くまま書くこととしたい。

仕事柄、「書く」ということも多いが、しかしまだ、単行本までは書いたことがない。大量に出版されている方もいらっしゃるが、どうやって書いているのだろうか。まず、多方面から知識を仕入れることは、当然のことと思う。その上で、引用する部分については、裏を取る必要もあるだろう。でも、それだけでは本にならない。

肝は、「自らの考え」をいかに注入するかということだろう。この部分、いくらいい考えを持っていても、字に表わすというのは、並大抵のことではないはずだ。やはり、書き慣れるということが必要ではないのだろうか。

少し話しが外れるが、私はモバイルギアを持っている。既に製造中止になっていると思うが、NECのモバイルパソコンである。WindowsCEというOSで動いている。これが、実は原稿書きに持って来いなのだ。900gで比較的軽量、キーボードもほどほどに大きい、そして一発起動なので電車の乗り降りの直前まで開閉が自由自在だ。

今、これを使って、移動の空き時間に、とにかく頭の中に浮かんだフレーズを打ち込んでみようかと考えている。テーマは、書きながら考えればいいのでないかという、かなりいい加減な考えだ。このブログは一応テーマを決めて書いているが、テーマ不在でスタートするとなると、結果的には、複数のテーマをマルチで書くことになるかもしれない。または、各章を同時に書くという結果になるかもしれない。まさに、コンカレントエンジニアリングだ。

「書く」といって構えず、「記録する」「デッサンする」と考えた方がいいのかもしれない。これまでインプット人生だったので、これからは、少し言いたいことをいうアウトプット人生に切り替えて行きたいものである。

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「ドラッカーの分身」との出会い

昨年12/2(土)に、コンサルティングファーム主催の「メンタージャム アニバーサリー」に参加して来た。「専門家のためのドラッカー入門」をぜひ聞きたいと思ったのが、一番大きな動機だった。

講演者は、上田惇生(うえだ あつお)氏。現在、ものつくり大学の名誉教授だが、ピーター・F・ドラッカー氏の著作のほとんどを翻訳され、ドラッカー本人から「日本での分身」とまで言われた方である。

講演内容は、はっきり言って、よく分からなかった。ドラッカー氏の著作は「現代の経営」しか読んでいないため、自分の知識不足もあったと思う。しかし、それ以上に論点が移行しまくり、何を訴えたいのか、釈然としなかった。でも土台、1時間でドラッカーを語れという方が無理だったのかもしれない。一層のこと、著作ではなく、私生活の暴露話しの方が良かったのかもしれない。ほんの数日前、未亡人と会って来たばかりという話しだったので、なお、その感を強くした次第である。

しかし、パーティーに移った後、遥か上席に座っていた上田氏の所まで出掛け、名刺交換をさせて頂いた。私の出した名刺を見るなり「さいたま市にお住まいですか。」と切り出された。お伺いすると、上田氏も大宮にお住まいとのこと。この一言で、急に親近感が沸いて来た。

とても気さくで、いい方であった。偉そうな素振りは一切なく、親しげにお話し頂いたことが、今も強く印象に残っている。この辺は、やはり人徳の致すところなのであろう。やはり人は、直に接触してみないと分からないものである。今後も、勇気を持って名刺交換しなければと思った次第である。

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言霊の深さ

「言霊の深さ」、この深遠な思いを見事に描き切っている方に出会った。田坂広志その人である。

田坂氏については、一度このブログで紹介した。その後、その深い考察力に惚れ込み、10数冊を1ヶ月のうちに一気に読み込んだ。どれも、ものの本質を捉え、短い言葉だが、非常に分かり易く解説してくれている。

特に「わかりやすい弁証法」と「複雑系の知」が、田坂氏の原点であるような気がする。本来ならば、難しい分野なのであろう。しかし、これらを田坂氏なりに噛み砕き、現在そして未来を見るための見方を示唆してくれている。

その言葉使いがまた、素晴らしいのである。ムダな言葉がない、分かり易い表現、自然に話しがつながっていく流れの良さ、どれを取っても、非の付けようがない。

もっとも、私の思考スタイルに合っているから、そう思うのかもしれない。しかし、内容も表現も素晴らしい。

これまでは熱病に取り付かれたように読んだが、これから、反芻し直したいと思っている。その深い洞察を味わうためには、どうしても必要だ。

私もこういう思考ができる人間になりたい。そして、人の心に響く言霊を発せられる人になりたい。田坂氏の作品は、そういう風に思わせる魔力を持っている。ぜひ、いつかご本人にお会いしたいものである。

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2007年1月 1日 (月)

夢しか実現しない

年末年始の休みを使って、独立してからこれまでの振返りも兼ね、昨年読んだ本を中心に、再度エッセンスをカードにする作業をしていたが、改めて、やはりこの人はすごいという人を認識し直した。

その一人が、福島正伸という方である。在職中に一度、アントレプレナーセミナーを受けたことがあるが、そのままの熱意が、著作にも表れている。今まで自分が行ったセミナーでも引用させて頂いたが、次の言葉が、その中でも秀逸であると思う。

「どちらに進んでも、その先にまた二股の道、夢を忘れなかったものだけ、夢にたどり着く」

「いかなる挫折も、すべて成功までの物語。あきらめない限り、人生には成功しかない」

「夢は、行動してこそ夢。行動の伴わないものは幻である」

「夢は、実現するためにあり、夢しか実現しない」

どれも、胸にズンと響く言葉ばかりである。 自分の夢が何であるかが、そもそも分からない。分かっても、自分にその能力があるかが分からない。能力があっても、それが果たして通用するのか不安である。人は皆、いつも悩んでいる。しかし、それが「生きている」証拠なのであろう。

明日消えるかもしれない命。日々、何かを求めて一生懸命歩くことが、実は「夢を求める」という実態なのかもしれない。そう考えると、気分が少し楽になるのでないか。

何が夢かは、実は本当の問題ではない。その過程で、自分を発見していくことが「正夢」なのではないか。夢の実現とは、自分発見の道程なのであろう。であるならば、不安になることはない。自分の信ずる道を、たとえ霧に隠れて前が見えなくても、勇気を出して歩んでいくのみである。ゴールすることが目的ではなく、それを目指すことが目的なのであるから。

上記の言葉は、そういう気持ちを抱かせる。自分を狭い世界に閉じ込めてはいけない。自由にリラックスして、全てを受け止める大らかさを持って、事に当たればいいのである。たとえ途中で倒れても、その意思は永遠に活きて、宇宙に広がって行くだろう。

少し話しが広がってしまった。今年もすばらしい本、素晴らしい方々との出会いを楽しみにしている。

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与野七福人

元旦の今日、以前から参拝したいと思っていた「与野七福人」を、お参りして来た。

地元なので、本来ならば歩いてお参りすべきところだが、時間短縮のため、我愛車シボレーで回って来た。(シボレーと言っても外車ではなく、フォールディングバイクの小型自転車だが)

福禄寿(氷川神社)、恵比寿神(一山神社)、寿老人(天祖神社)、大黒天(円乗院)、布袋尊(円福寺)、毘沙門天(鈴谷大堂)、弁財天(弘法尊院)の順に回って来たが、略地図片手に行ったため、場所がよく分からず、かなり走り回ってしまった。8時半に家を出て、帰り着いたのが1.5時間後の10時だった。

どこも、ほとんど人がおらず、快適そのものだった。どの程度ごりやくがあるか分からないが、これも地元貢献の一環と思えば、相身互いである。

神社とお寺が混在しているため、参拝の仕方をその度に変更して対応した。たきぎをしているところもあり、そこでは、かじかんだ手を温めさせてもらった。心まで暖かくなるようであった。

地元の七福人巡りは小さいことだが、これで、何かすっきりした。神頼みは性に合わないが、心清らかにお祈りをするというのは、気持ちのいいものだ。今年も、悔いのない1日1日を送りたいと思う。

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