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2007年1月 2日 (火)

書くということ

久々にまとまった時間ができたものだから、次々と書きたいことが出て来る。本当は、来週から始まる激戦に備え、今日から仕事の準備を始めなければならないのだが、なかなか筆が進まない。でも、このような機会がないと、書きたいことも書けないので、ここは後で後悔することを省みず、気の向くまま書くこととしたい。

仕事柄、「書く」ということも多いが、しかしまだ、単行本までは書いたことがない。大量に出版されている方もいらっしゃるが、どうやって書いているのだろうか。まず、多方面から知識を仕入れることは、当然のことと思う。その上で、引用する部分については、裏を取る必要もあるだろう。でも、それだけでは本にならない。

肝は、「自らの考え」をいかに注入するかということだろう。この部分、いくらいい考えを持っていても、字に表わすというのは、並大抵のことではないはずだ。やはり、書き慣れるということが必要ではないのだろうか。

少し話しが外れるが、私はモバイルギアを持っている。既に製造中止になっていると思うが、NECのモバイルパソコンである。WindowsCEというOSで動いている。これが、実は原稿書きに持って来いなのだ。900gで比較的軽量、キーボードもほどほどに大きい、そして一発起動なので電車の乗り降りの直前まで開閉が自由自在だ。

今、これを使って、移動の空き時間に、とにかく頭の中に浮かんだフレーズを打ち込んでみようかと考えている。テーマは、書きながら考えればいいのでないかという、かなりいい加減な考えだ。このブログは一応テーマを決めて書いているが、テーマ不在でスタートするとなると、結果的には、複数のテーマをマルチで書くことになるかもしれない。または、各章を同時に書くという結果になるかもしれない。まさに、コンカレントエンジニアリングだ。

「書く」といって構えず、「記録する」「デッサンする」と考えた方がいいのかもしれない。これまでインプット人生だったので、これからは、少し言いたいことをいうアウトプット人生に切り替えて行きたいものである。

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