« フロントミッション | トップページ | 心技体 »

2007年1月 4日 (木)

栗林忠道中将

柘植久慶氏の書いた「栗林忠道」を読んだ。淡々とその戦闘シーンが描き出されていた。しかし、従来の作品に見られたような迫真の描写はなく、むしろ、激戦の中における栗林中将の冷静さが際立つように意識して書かれた感じを受けた。

それは、相手側指揮官であるホーランド・M・スミス中将の激昂ぶりと対比して書かれているのと対照的である。今までの日本軍人とは違う、もうひとつの日本軍人のイメージが、見事に表現されていた。

硫黄島戦闘進捗図や西太平洋地域図が挿入されていたので、地の利がよく分かった。また実写の写真も挿入されており、それらが無言で当時の凄惨さを伝えていた。

まえがき、あとがきも見逃せない。栗林中将の素顔や経歴が、細かく記されている。それも活きた情報だ。柘植氏は、従軍当時、百科事典(エンサイクロペディア)とあだ名されていたそうだ。その豊富な知識量は、本当に驚嘆に値する。それらは多分、強靭な肉体と精神力に支えられた集中力のなせる技なのだろう。やはり、柘植氏もただ者でないということだ。

栗林中将が戦死したのは1945年3月26日だった。しかし、その後も5月中旬まで抗戦が続いたということである。司令官なき後も、戦い続けた方々がいたことに、改めて驚いた次第である。栗林中将の祖国を思う気持ちが、ひとりひとりに行き渡っていたということだろうか。改めて、散って行った方々に、哀悼の念を表したい。

|

« フロントミッション | トップページ | 心技体 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 栗林忠道中将:

« フロントミッション | トップページ | 心技体 »