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2008年6月10日 (火)

マイペンライ

マイペンライ、今日初めて聞いたことばだ。

タイ語で、「気にしない」「大丈夫」「どういたしまして」
という意味だそうだ。

お金がなくてもマイペンライ、仕事がなくてもマイペンライ
約束時間に遅れてもマイペンライ
何がなくても、マイペンライ

ずいぶん便利なことばだ。

タイに行ったことはないが、このことばがよく使われている
ことから察すると、タイとは、おおらかな国なんだなという
感じが伝わって来る。

実はこのことば、昨日出会ったKさんから今朝教えてもらった。

何か捉え所のない方だなと思っていたが、今朝このことば
の紹介と、タイをはじめ東南アジア方面にバックパック旅行を
していたという話しから、ピンと来た。

なるほど、Kさんそのものが、マイペンライなのだと。

日本の感覚ではなく、大陸の感覚で捉えないと、
Kさんは理解できない。

人は、自分の好む世界に生きるというが、まさに
Kさんは、広い世界に住んでいるのかもしれない。

これからは、行き詰ったとき、心の中で
「マイペンライ」と唱えてみよう。

そうすれば、Kさんのように大きく物事を捉え
こだわりなく考えることができるかもしれない。

いいことばを教えてもらった。
ありがとう、Kさん。

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2008年6月 8日 (日)

フォトフレーム

現在、自宅の部屋にフォトフレームつまり写真立てが7つ立て掛けてある。

普通は家族の写真とかが飾ってあるのだろうが、私の場合は
少し違う。

絵はがき用2つ、アール・ヌーボー用2つ、相田みつを用2つ、
そして自分へのメッセージ用1つだ。

絵はがき用は、そのとおり地方へ出張した際に買い求めた
絵はがきを飾っている。
その際、セットでは買わない。
気に入ったものだけを、一枚一枚買う。
現在は、宇都宮の「妖精」と東山魁夷の「青響」が飾ってある。
イーゼルに立て掛けてあるだけなので、取替え自由だ。

アール・ヌーボーは、本物は買えないので、写真でがまんしている。
ドームの「蝸牛装飾葡萄文ランプ」とガレーの「蜻蛉」だ。
お気に入りの2品で、これはアクリル製の写真立てで
しっかりホールドしている。

相田みつをは、博物館をネットで検索したとき打ち出した券を
持参した際もらった、半券になったことば3品だ。
2品を1つにして飾ってある。
短いことばに人生が凝縮されている。

そして自分へのメッセージ。
読んだ本で感銘を受けたことばや、自分で作ったことばを
入れている。
現在は、サッカーの岡田監督のことばだ。

「逃げ道があるなら逃げたい。
でも逃げ道がない。
そんなとき、人間は、本来持っている
強さを発揮できるのだと思います」

逃げ道がない。

本当にそうだ。
これから、やっと明日の仕事の準備に入る。
腰を据えて取り掛かることにしよう。

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2008年6月 7日 (土)

三方よし

「三方よし」という言葉をご存知だろうか。

近江商人に伝わる商売哲学である「売り手よし、買い手よし、世間よし」
を指した言葉だ。

現在、「企業の社会的責任」を論ずる場合、よく引き合いに出される
言葉になって来た。

つい最近読み終わった「法律より怖い「会社の掟」」にも、この話しが
引用されていた。

ステークホルダー(利害関係人)として、世間つまり社会一般の方々
まで配慮すべしということである。

これは、会社のことに限らない。
個人の生活上も、大いに参考にしたい言葉である。

あまり適当な例ではないが、私もひとつ実行していることがある。

それは、フィットネスクラブで、マシンやマットを使い終わった後、
かならず横に掛けてあるクロスで、手や体が触れた部分を
拭いていることだ。

範囲の決まったメンバーとは言え、やはり次の方に
気持ちよく使って欲しいからである。
まあ、この程度ならば、マナーと言った方がいいかもしれないが。

しかし、もう4ヶ月続けているが、誰も真似る人が出てこない。
「そんなこと、スタッフの仕事でしょ。」ということだろうか。

私は、一生、今のフィットネスクラブに通うつもりである。
自分も気持ちよく、そして長い付き合いになるだろう
顔を存じ上げないメンバーの方々も含め、大事に
して行きたいと思っている。

世話になっているスタッフの方々へも、些細ではあるが
恩返しもしたい。

トレーニングマシンも、自分を鍛えてくれる大事な道具
なので、きちんとメンテナンスしたい。

「企業の社会的責任」は、英語でCorporate Social Responsibility
と言い、略してCSRと言うが、最近、CSRが別の言い方をされる
ようになって来ている。

Citizen's  Social Responsibility つまり「市民の社会的責任」

ひとりひとりが、何が社会生活をする上で大事かを考えながら
生活しようということである。
これは、自分も含め個人個人を尊重する考えだ。

今後も、何が自分に出来るかを考え、そして出来ることは
実行して行きたい。

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2008年6月 6日 (金)

逆進読書法

本は普通、最初から読むものと相場が決まっている。

飛ばし読みや斜め読みをする場合も、普通は最初から見ていく。

しかし、本を逆に最後から読んでいくという方法があるのだ。

これを、「逆進読書法」という。

初めて聞く人も多いだろう。
そりゃそうだ。
私が名付けた読書法だ。

再読する場合に、効果がある。

どういう効果があるかと言うと、論旨を逆に辿ることによって
新たな発見があるのだ。

結論が導かれた前提となる要件を、モレなく再チェックすることができる。
何気なく読み飛ばしていたところが、実は結論に導かれる布石に
なっていた部分だったなどというのは、ざらにある。

思考を逆回しにして、筋道を確認するのだ。
ビデオを逆回しにして、フォームチェックする感覚に近い。

これはものにしたいと思った本を、まさにしゃぶり尽くすための
読書法だ。

ぜひ一度、お試しあれ。

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2008年6月 5日 (木)

日本初の鉄砲を使った戦いとは

日本初の鉄砲を組織的に使った戦いとは、何の戦いだっただろうか。

それは、武田軍と織田・徳川連合軍が戦った「長篠の戦い」というのが
歴史の時間に習った答えだ。

しかし、正確にはそうでないことが、今日分かった。

「設楽(したら)が原の戦い」で、初めて鉄砲が織田・徳川連合軍によって使われた。

「長篠の戦い」は、前半が「長篠城の戦い」で、後半が「設楽が原の戦い」に
分けられ、その後半で鉄砲が使われたとのこと。

なぜ、今日、それが分かったかというと、昼休みに、現地の方に
設楽が原の古戦場跡に案内して頂き、説明をお伺いしたからである。

仕事で奥三河に行ったのだが、昼に2時間程の空き時間が出来てしまった。

本でも読んでのんびり過ごそうと思っていたら、有難いことに
仕事先のお客様に、「周辺を案内しますよ。」とお声をお掛け頂いた。

これを見逃す手はない。

ぜんぜん遠慮することなく、「では30分後に出発しましょう。」と
こちらから時間指定するずうずうしさ。

食事を手早く済ませ、車で案内して頂いた。

そのひとつとして立ち寄ったのが、設楽が原だった。

「学校の歴史では、鉄砲は「長篠の戦い」と習いましたが違いましたか。」
「いや間違ってはいないけれど、地元ではそうは言わん。」
「どうしてですか。」
「長篠は隣町のことで、ここは設楽が原。隣町の名前では呼ばん。」

なるほどね。
正確性もあるけど、それよりも地元愛がそう呼ばせているのね。

そう言えば、車で移動する最中にも、地元のことを実に誇らしげに
楽しそうにいろいろと教えて頂いた。

私は、サラリーマン家庭で育ち、各地を転々としたため、しっかりと
した地元がない。

お話しをお伺いして、少し羨ましい気がした。
今度は、じっくり時間をかけて回ってみたいなと思った。

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2008年6月 4日 (水)

真のプロに共通すること

昨日のNHK総合「プロフェショナル」は、すでに放映されたお三方の
未公開秘蔵のスペシャルトークだった。

その3人とは、坂東玉三郎(歌舞伎役者)、吉田都(バレリーナ)、
武部聡志(音楽プロデューサー)だった。

その3人の話しを聴いていて、気づいたことがある。

それは、真のプロは、自分の弱点こそが自分の強みの源泉である
という自覚を持っていること。

弱点を隠さない。
むしろそれをオープンにすることにより、自分を解放している。
そして、そのような自分を認めつつ、没頭している。
自分の目指すものに対して。

「好き」という範囲を超越し、「熱愛」状態だ。
でも、自分を見失わずコントロールしている。

真のプロは、自分の限界を実は恐れている。
しかし、黙々とそれに挑んで行っている。

弱みを克服するというより、弱みを味方につけて
強みのサポート役にしている。

彼らを動かしている原動力は、純粋な心。
踊りが好き、バレエが好き、音楽が好き。

複雑な理屈ではないのだ。
だから、続けることができる。
シンプルなのだ。

そして自分のことだけではない。
常に回りへの気遣いを忘れない。

本当に得るものが多い番組だ。

これからも、じっくりと味わって行きたい。

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2008年6月 3日 (火)

My Dentist

My Dentist、つまり「私の歯医者」。

4/3(木)から、久しぶりの歯医者通いが続いている。

左下奥の親知らずが虫歯になり、ズキズキし始めたので
やむを得ず行かざるを得なくなった。

通っているのは、ジャスコの中にあるP歯科医院。
次女が大学生の頃、アルバイトで受付をしていた縁で
歯石を取ってもらいに行ったことがある。

3年経つので、そのときの先生はいなくなり、別の先生が
来ている。
そう、開業医ではなく、チェーン歯科医院なのである。

私の担当の先生は、I先生といい、そこの院長先生である。
院長と行っても、まだ40代の若さ。

とても手際がよく、処置が実にスピーディーだ。
おまけにぜんぜん痛くない。

声を掛けながら治療を進めてくれるので、進捗状況の
把握ができる。
これは、ありがたい。

ナビゲーション入りだと、もうどれ位で終わるか分かる
から、態勢も整えやすい。

決してニコニコしたり、やさしかったりはしないのだが、
テキパキ治療し、的確にアドバイスし、礼儀正しい。

これがプロとしてのホスピタリティかと思わせる対応である。

そう言えば、誰かと似ている。
ブラックジャック。

白衣の下は、いつも黒のズボンだし。
顔はいつも伏目で、そのうえ大きなマスクに隠されてよく見えない。

意識してマネしているのではないだろうが、何となく
雰囲気が似ている。

勧められるまま、現在、右下奥の親知らずの治療に移っている。
この先生、商売上手でもあるのだ。

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2008年6月 2日 (月)

不機嫌な職場

ある方の薦めで、「不機嫌な職場」(講談社現代新書)を読んだ。

ギスギスした職場が増えている現在、どのようにすれば、
それを乗り越えられるかを論じた本だ。

現在、組織の「タコツボ化」が進んでいるとの基本認識に立っている。

それを脱し、過ごし易い職場を取り戻すためには、信頼関係の
再構築が必要としている。

方法としては、グーグルやサイバーエージェント等への取材結果を
基に、いろいろな提案がしてあった。

書いている方4名の、何とか改善のお手伝いがしたいという
真摯な気持ちが伝わって来る1冊だった。

考えてみれば、これは会社の中だけでなく、社会一般についても
言えることだろう。

皆が視野狭窄に状態に陥りかけている。
不安と不信が渦巻く中では、その人が持っている本来の力が出し切れ
る訳がない。

これは、組織にとっても個人にとっても、たいへん不幸なことだ。

組織と個人の両立。

これは、環境が目まぐるしく変化する中、古くて新しい永遠の課題とも
言えるだろう。

私のように会社生活にピリオドを打って、自力解決に歩んだ者も
いれば、篠塚健次郎(ラリードライバー)のように会社の中で
生きがいを見出して行く人間もいる。

その対応方法は、まちまちだと思うが、これは忘れない方がいいだろう。

解決するのは自分であって、組織の動きを待っていては埒が明かない
ということを。

いつ何時でも、自らが主体的に行動する覚悟がなければ、いかなる道
も開かれないと思うのである。

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2008年6月 1日 (日)

天使の歌声

今日、「天使の歌声」を聴いて来た。

言わずと知れた、ウィーン少年合唱団の歌声である。

一度聴いてみたかった。

小学生の頃に、両親に連れられて映画「美しき青きドナウ」を見に行ったことがある。
そのときから、ナマで聴きたいと思っていたことが、やっと今日実現したのだ。

素晴らしいボーイソプラノだった。

リードボーカルだった少年は、かなり背が高く大人びていた。
他は、本当に少年で、3年生位の子もいたかもしれない。
水兵服の身なり正しく、直立不動で一生懸命に歌っていた。

歌は言うまでもないが、そのほか見た者でないと分からない
少年らしい部分を記したいと思う。

① お辞儀の角度が自由奔放(つまり極めてバラバラ)
② 時々よそ見をする子がいた。(1時間続けて歌っていると飽きるのも無理はないか。)
③ 持っていた楽譜は飾りか。(変化を持たせるための持参品か。時々見ていた。)
④ 指揮者兼ピアノ伴奏者の楽譜をめくっていた少年がたいへんそうだった。(少し色が
    黒いと思っていたら、ナイジェリアから来た少年だった。)
⑤ 途中数人が退席してその後半ズボンで現れたが脚が長い。(やはりかなわない。)
⑥ 直立不動は聖歌隊なので仕方ないか。(でも自然と体が動いている子がいた。)
⑦ 変に媚びず、素朴そのものが逆に新鮮だった。(伝統は新しい。)

多感な時期に、全寮制でトレーニングを積んでいる。
どんな私生活をしているのか、映画で見たような枕投げをしているのだろうか。
その姿を眺めながら、いろいろと想像してしまった。

最後に指揮者が少年達の国籍を紹介していたが、本当にまちまちだった。
地元オーストリアはもちろん、ヨーロッパ以外では、オーストラリア、カナダ
アメリカ、ロシアそしてナイジェリア出身の少年達がいた。
アジア系の少年は、残念ながら見当たらなかった。

あっという間の2時間だった。

最後近くに日本語で歌った、「千の風になって」が秀逸だった。

「千の風になって」は、私の父親が大好きな曲だ。
済み渡った歌声を聴きながら、遠く実家にいる両親に思いを馳せた。

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