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2008年9月29日 (月)

危うく京都まで

今日、危なかった。

仕事が終わったあと、新幹線に乗ったまでは良かったが
疲れが出て寝込んでしまった。

何かに突き起こされて気がついたら、車内放送が流れていた。

「名古屋まであと5分です。」

「ええ、本当!」
「危ないところだ。」

終電近かったので、京都まで行ったら戻れなかったかも
しれない。
そうなると、明日の仕事に穴を空けることになっていた。

よかった、起きられて。

でも、実はこれが、私の特技なのだ。

指定した時間に、起きることができる。
体内目覚まし時計を持っているのだ。

時差が生じる場合にはうまく作動しないが
国内の場合は、まず狂うことはない。

でも、油断大敵なので過信は控えることにしておこう。

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2008年9月28日 (日)

運動会

もう、その季節になったのだ。

昨日、すぐ前の小学校が、運動会だった。

「フレー、フレー」
「ソレー、ソレー」

部屋で本を読んでいたら、すごい歓声が
伝わって来た。

この小学校、少子化とは関係なしに増築に
増築を重ねている。

わがマンションも含め、一帯に大型マンションが
立ち並んだため、教室が足りなくなってしまったのだ。

校庭は、道路向こうの校舎の反対側にある。
つまり、校舎が防音壁になって、普通は
子供達の遊び声は聞こえて来ない。

ところがである。
昨日は違った。

最初は何か分からなかった。
どこかのご家庭のテレビの音かと思った。

よく聞いて見ると、「生きている」声だった。

久しぶりに子供達の歓声を聞いたような気がする。

その後外出した際、道路横から校庭を少し覗き見た
のだが、鈴なりの人で埋め尽くされていた。

きっと、大歓声に引き込まれて、近所の方々も
応援に駆けつけたのではないだろうか。

「子供達の歓声は、我々が生きている証である。」

今日、マンションの子供達の輝く顔に出会える
ことを楽しみにしている。

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2008年9月27日 (土)

珠玉の一冊

珠玉の一冊

その本の名は、『未来を予見する5つの法則』
副題が、「弁証法的思考で読む「次なる変化」」となっている。

つい最近発刊された、田坂広志氏の著作である。

その文体は、まるで詩のよう。

「教える」のではなく、「諭す」がごとく
包み込むように書かれている。

一見難解のように感じるヘーゲルの弁証法を用い
今、そしてこれから起こるであろうことを語っている。

司馬遼太郎の文体も好きだ。

簡潔、明瞭、しかし想いがしっかり伝わって来る。

しかし、田坂氏の文体は、さらにそれを結晶化したか
のように感じる。

幾多の深い思考を重ねなければ、これらの文章は
生まれて来なかっただろう。

書かれている内容は、どうか著書を手にとって
自身の目で確かめて頂きたい。

ちなみに、今回この著作は、日本とアメリカそして
英語圏で同時出版されるとのこと。

この文体が、どのように英訳されているのか
興味深々である。

「Five Laws to Foresee the Future」

こちらも、手に入れることとしたい。

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2008年9月26日 (金)

トレーニングは禅と見つけたり

最近少し涼しくなって来たためか、体のコンディションが
絶好調だ。

トレーニングを再開して8ヶ月。

最近、なぜ体調がいいか気づいたことがある。

気候の影響もあるが、それだけではない。
セルフコントロールができるようになって来たのだ。

以前は、腕を痛めたり首を痛めたりして、よく
整形外科のお世話になっていた。

自分で自分の調子を把握することができなかったため、
自然と無理を強いていたのだ。

しかし最近は、ウォーミングアップ中に、体の隅々まで
体調をリサーチすることができるようになって来た。

トレーニング中も、随時種目を変更したり、ウエイトを
調整したり、インターバルを長めに取る等対応している。

では、なぜセルフコントロールができるようになって
来たのか。

それは、自分と「対話」できるようになって来たからだ。

トレーニングを通し、その能力が培われたように思う。
特に、フリーウエイトの貢献が大きい。

「無我の境地」に入ることができるのである。

呼吸を整え、精神を統一し、力を込めるとき、
いつも、もうひとりの自分と向き合っている。

何も考えない。

ただ、自分の内からささやいて来る声だけに
耳を傾けている。

そう、トレーニングは、私にとって、単に体を鍛える
ためだけのものではないのだ。

自分の内なる声を聞き、自分と対話し、自分の心を
鍛えたり癒したりする貴重な時間なのだ。

この時間は、肉体的には辛いけれど、同時に
至福の時間なのだ。

これからも、心静かに通いたいと思う。

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2008年9月25日 (木)

液晶絵画

昨日、久々に午後からゆっくり時間を取って
H倶楽部(ジム)へ行く時間ができた。

その前に、もう少し刺激が欲しいと思ってネットを調べて
いたら、恵比寿の東京都写真美術館で「液晶絵画」を
展示中という文字が目に飛び込んで来た。

これは、おもしろそうだ!

直感的にそう思った。

最近の液晶は、解像度が素晴らしい。
その技術を使い絵という心理描写をすれば
どうなるのか。

興味深々で、さっそく立ち寄ることにした。

「うーん、素晴らしい。」
「水墨の山水画が、こんなに鮮やかに表現されるとは!」
「うん? 木々がかすかに動いているぞ!」
「あ、鳥が飛んできた!(あっという間に飛び去った)」

これは、千住博氏の「水の森」という作品だ。

静けさの中で、水面がわずかに揺れ、その中で
木々がその体を寄せ合う。

従来の山水画では表現し切れなかった静寂の中の「動」が、
見事に表現されていた。

屏風8枚分の、圧巻の液晶絵画だった。

千住博という方。
「ウォーターフォール」という作品で、その自然を日本画の
手法を使い奥深く描かれることは知っていたが、
デジタル技術を使い、またその域を深められたようだ。

今日も、いい作品に出会えた。

心静かに、トレーニングに励むことにしよう。

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2008年9月24日 (水)

スリムボトルは便利だ!

コカ・コーラ社の「からだ巡茶」で使っているスリムボトルは、
この上なく便利だ。

横に平べったいので、カバンに無理なく収まる。

この夏は、大いにこのスリムボトルが活躍してくれた。
ちなみに、中味のお茶は関係ない。

シビアな仕事で、丸2日間飲まず食わずの生活を強いられた。

始めから予想されたので、このスリムボトルにスポーツ
ドリンクを入れて持参したのだ。

1本だと何ということはないが、3本だとかなり威力を発揮する。

カバンのパソコンホルダーに3本が余裕で収まり、
その隙間にソイジョイとカロリーメイトを入れたパックが入った。

これで、1350ccの水分と2食分の食料が確保できた訳だ。

「準備がいいですね。」
「昨年、脱水症状になったからね。」
「筋トレにもなりますね。」
「ん?、そこまでは考えなかったな。」

飲み終わったら、ホテルでの打ち合わせ室に用意された
ポットに入ったミネラルウォーターを補充する知恵も出て来た。

打ち合わせ中も、コップを使わず、スリムボトルからゴクゴク
水分補給した。
何せ疲れる打ち合わせだったので、水を飲んで冷却する
必要があったのだ。

人間、考えれば、いろいろ思いつくものだ。

これからも、身の回りのもので有効活用できるものを
探していくことにしよう。

1つで3通りに使える、これが理想だ。

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2008年9月23日 (火)

娘来たる

昨日、次女のM子が久しぶりに家に戻ってきた。

久しぶりと言っても、9/12(金)に独り暮らしをしたいと言って
引っ越したばかりなのだが。
でも、親としては、やはり気になるものだ。

どうやら生活も落ち着いてひと段落したようだ。
やれやれである。

そう言えば、引越し前日にこのようなことがあった。

テレビ台をN君がくれるというので、これからバスで
取りに行くというのである。
帰りはと聞くと、N君に車で送ってもらうとのこと。
午後8時過ぎだった。

よく聞くと、N君は修士課程を途中で断念し実家に
戻るため、同時期にアパートを引き払うとのことであった。
事情が事情だけに、意気消沈しているとのこと。

これは、放ってはおけない。

「お父さんが車で連れて行ってやる。」
「お父さん、仕事で忙しかったんじゃない。」
「何とかする。それよりN君に会う方が大事だ。」
「テレビ台は。」
「それは付け足しだ。」

ということで、さっそくN君のアパートへ向かった。

5年前にN君と初めて会ったが、やはり頬がこけて
やつれていた。

「かなりスマートになったな。」
「いろいろありましたから。」

その後、路上だったが、挨拶もそこそこに
今後のことについて話し合った。

30分後、明るい顔つきになったN君がこう言った。

「なんか、元気が出てきました。」
「そうか、それはよかった。いつでも話し相手になるよ。
  これも縁だからな。」

N君は、実は娘の元カレだ。
不思議な縁で、またこうやって再会することができた。

人の出会いは、本当におもしろいものである。
お互いに何かを求めて助け合うとき、また新たな世界が
広がっていく。

これからは、N君とは男の付き合いをして行きたいと
思っている。
今後は、娘は抜きだ。

私の心情を察したのか、隣にいた娘が、
笑顔で頷いていたのが、印象的だった。

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2008年9月21日 (日)

サラリーマン合気道

いやー目からウロコとはこのことだ。

箭内 道彦(やない みちひこ)さんの「サラリーマン合気道」を
読んだ第一感想だ。

実にユニーク。

「自分ひとりで思いつくことなんてあまりにも小さい。」
「目の前の相手と向き合ってそこから生み出せばいい。」
「そのことに気がついて僕は少し楽になりました。」
「流されるからこそ遠くに行けるのだと。」

冒頭に書かれていた一文だ。

まるで自然体。
気負ったところが、全くないのである。

まさにタイトルどおり、受けて流す柔よく剛を制す
合気道の精神そのものの生き方だ。

逆説的な言い回しに、何とも言えない新鮮味を感じた。
以下、印象に残った言葉を上げてみる。

「プロ意識を捨てることで、人に任せることも含め、
その仕事にとって最善の道を考えることができる。」

「弱点は解釈し直すことで、仕事をする上での強力な武器となる。」

「事前の計画にはない偶然を受け入れることは、
世の中と足並みを揃えるチャンスでもある。」

「優先順位をつけないことで、
仕事は有機的に結びつき、密度を増していく。」

「ギリギリの途中変更は、仕事のキレと瞬発力を呼ぶ。」

「今日で終わりだと考えれば、
明日のために残していた力も全て使い切ることができる。」

「オンとオフのスイッチを壊すことで、
より真剣な気持ちで、より楽に仕事をすることができるようになる。」

誤解されないよう、多少解説が必要な言葉もあるが
総じて、味わい深い意味を秘めている。

これらは、まさに箭内さんが体得してきた人生訓なのだろう。
消化して自分の中に取り込んで行きたい。

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2008年9月20日 (土)

ダークナイト

やっと映画を鑑賞するまでに生活が戻った。

いろいろ見たいものがあるが、取り急ぎ今日で上映が
終了となる「ダークナイト」をレイトショーで見て来た。

ご存知バットマンの映画だが、今回の映画はとても
シリアスだった。

笑える場面がひとつもなかったのである。

そこではバットマンが正義の味方ではなく、
まさにダークナイト(暗黒の騎士)として描かれていた。

ダークという言葉は、独特の響きを持っている。

暗黒、闇、邪悪等あまりいい印象が伝わって来ないが、
一方では、漆黒、善と悪の境目、神秘さ等も感じさせる。

どこまでが善でどこからが悪なのか釈然としない中で
自らを信じ戦う戦士というイメージだ。

少し前に、ダークエンジェルというテレビ番組があった。

大のファンでDVDを借りて来て全編を一気に観た経験があるが、
そこでも、ダークが多面的に取り上げられていた。

スターウォーズのダースベーダーも意味深な存在だった。

「完璧な人間は存在しない。」
「常に善と悪とが戦っている。」
「そのバランスの上で、我々は生きている。」

ダークに目をそむけることなく、その事実を認め
乗り越えていくことが求められている。

今日、最後に警察犬に追われ走り去って行ったバットマンの
後姿は、真実を求める者の苦悩と信念を表しているかの
ようであった。

続編が、楽しみである。

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2008年9月14日 (日)

奇跡のリンゴ

1ヶ月に渡った激務の山場が、今日去った。

正確にいうと、12月末までの仕事の「段取り」のフレームワークが
やっと整理できたというところだ。

しかし、この間も、ジムには通い続けている。
もう、心身のリセット場所として不可欠の存在になりつつある。

そのサロンで、今日一気に「奇跡のリンゴ」を読了した。

「奇跡のリンゴ」、それは無農薬無肥料でリンゴを作った男の
すさまじい常識への挑戦の記録だ。

これは、NHK「プロフェッショナル仕事の流儀」で2006年12月7日に
放送された青森県のりんご農家 木村秋則さんの話しが大きな
反響を呼び、単行本として出版されたものだ。

しかし、すごい人がいたものだ。

8年もの間、枯れ行くリンゴの木と向かい合い、最後まで
自分の信じる道を歩いた。

リンゴ農家がリンゴを作ることができず、食うや食わずの
生活を自ら強いたのである。
家族の協力も、ひとしおであったろう。

「リンゴの木は、リンゴの木だけで生きているわけではない。
周りの自然の中で生かされている生き物なわけだ。」

「人間もそうなんだよ。」

「人間はそのことを忘れてしまって、自分独りで生きている
と思っている。」

リンゴを自然のふところに返した。

リンゴだけでなく、リンゴと共に生きるありとあらゆる生き物を
リンゴ園に迎え育て、その中でリンゴ本来が持っている生命力を
引き出したのだ。

これはもう、リンゴ栽培という世界ではない。

リンゴはきっかけであり、木村さんは生命が本来持っている
自然治癒力を引き出したのだ。

「死ぬくらいなら、その前に1回はバカになってみたらいい。」

実際に木村さんは、万策尽きて岩木山にロープを持って
出かけたとのこと。

生命を絶とうとした岩木山で、自生する木を見て気づきを得た。

「ひとつのものに狂えば、いつか必ず答えに巡り合う。」

この言葉を信じ、明日からまた自分と戦って行きたい。

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