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2009年11月 1日 (日)

感動を与えて逝った12人の物語

致知出版社という出版社がある。

生きがいや人生哲学を説いた出版物を主に発行している会社である。
メーリングリストに登録しているため、頻繁に新刊の案内が届く。

最近来た案内に「感動を与えて逝った12人の物語」というタイトルの図書があった。
終末医療の最先端であるホスピス勤務の医師が書いた本とのことだった。

死生観や人生観を検証するために役立つと思い、さっそく購入して読んだ。

いろいろな方の最後の様子が、著者の想いと共に綴られていた。

しかし、記載してあったのは、病床で亡くなった方のことばかり。
終末医療の医師が書いたのだから仕方がないが、何か物足りなさを感じた。

人の死は、突如訪れる場合もある。
その死の瞬間に、人は何を考え何を感じてあの世に旅立つのだろうか。

人それぞれと思うが、私は「死は永遠の安らぎ」と捉えている。
逆に言うと、「死」を永遠の安らぎと受け止められるよう、「生」の間は全力疾走で
駆け抜けたいと思っている。

さすがに常時全力疾走ではバテてしまうので、ジムで心身のリフレッシュを頻繁に
行っているが、気持ちのうえでは手抜きをしたくないのである。

一度しかない命である。

人間が人間として生まれて来る確率は、ある学者によると1億円が100万回連続して
当たる確率とのことだ。

これはもう、2度と人間としては生まれて来ないことを意味している。

ならば、この「生」の期間を納得づくで生きたいものである。

夢が叶うか叶わないかが問題ではない。
大事なことは、夢に向かって歩み続けるということである。

途中での落胆や失望は、スパイスのようなもの。
たとえ全てを失っても、我が身は残るのである。
赤ん坊になったつもりで、ゼロから始めればいいだけである。

自殺者が年間3万人を下らない状況が現在も続いている。
本当に痛ましいことである。

全てがない状態が、本来の人間の姿だと思うのだが。
少なくとも、現在の日本では命まで奪われることはないだろう。

「死」は誰にでもやって来る。
「死」から逃れるのではなく、パートナーとして付き合って行きたいと思う。

「生」と「死」は対立概念ではなく、連鎖の関係にあり存在する次元が違うだけと
捉えられないだろうか。

いつでも喜んで「死」を受け入れたいものである。
そのためには、不断の努力を楽しむ余裕が欲しいものである。

今後も、納得の「生」から安らぎに「死」に続く自分道を目指し切磋琢磨を続けたい。

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