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2010年1月 3日 (日)

再びアバターへ

昨日、アバターを再度見に行った。

これで3回目の観賞である。

1回目は、惑星パンドラの美しさやナヴィ族の動きに目を奪われた。
2回目は、ナヴィ族と人間との確執を考えさせられた。

そして3回目は、アバターの持つ意味について気づきを得た。

アバターとは分身という意味である。
映画の中でも、ジェイクがナヴィ族と人間のDNAの合成から生み出された
アバターを遠隔操作して活動するという場面から始まる。

しかし、次第にアバターとしての自らの存在に目覚めていく。

つまり、アバターとしてナヴィ族の一員として生活する中で、自分の中で
気づかなかった自分に出会い、戸惑いながらもそれを受け入れ
自分の気持ちに正直に答えていくという流れだ。

ナヴィ族として人間と戦う道を選択するということは、ジェイクとしては
苦悩以外の何物でもなかったはずだ。

元は海兵隊のバリバリの軍人である。
車イスの生活になったため、やむを得ず除隊した。
現在は傭兵の身だが、本人も言っていたとおり海兵魂は失っておらず
組織に対する忠誠心も高かった。

また、人間と戦うということは二度とアバターに戻れないことも意味している。
装置によって意識をアバターに移植している以上、人間が装置を破壊すれば
それでリンクは切れる。

でも、ジェイクは決断した。

ここが大事なところだ。

結果がどうなるか見通しがつかない。
しかし、自分の信ずるところに従い行動する。

分身と思っていた自分が、実は本当の自分を写し出す真実の姿だった。
一旦決断したら迷いはない。
たとえそれが人間としての自分を捨てることになっても。

3回目でやっと分かった。
自分がなぜここまで、アバターに引き込まれたのか。

パンドラの美しさやネイティリの魅力もあるが、このジェイクの生き方に
共鳴したのだ。

決断、勇気そして愛情
年始早々、素晴らしいプレゼントをもらった。

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