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2010年9月30日 (木)

「にっぽん丸、さようなら」

昨夜、最高のお別れの体験をした。

大船渡港野々田ふ頭に停泊していた客船「にっぽん丸」の出港に立ち会ったのだ。
にっぽん丸とは、商船三井客船が運航する大型客船だ。

今回研修でお伺いした先は、大船渡市役所様。
研修が始まる前に事務局である総務課のSさんから、今日夕刻、にっぽん丸のお別れ
セレモニーがあるとお伺いした。
毎回、市を上げて歓迎し、市を上げてお見送りしているとのこと。

船のお別れというと、学生時代に青函連絡船で一度経験して以来、ご無沙汰していた。

「お別れセレモニーですか、私もぜひ参加させて下さい。」
「どうぞお越し下さい。市民の皆さんも大勢いらっしゃいます。」

お言葉に甘えて、研修終了後ホテルへチェックインすると同時に、波止場へ向かった。
歩いて行ける距離だったのである。

岸壁に着いたのが、5時20分頃。
もう既に、市役所の大勢の職員の方々が、お別れセレモニーの準備をされていた。
受講者だった管理職の皆様もほぼ全員揃っていた。
すごいチームワーク。

停泊したにっぽん丸の前には、数多くのテントが張られていた。
そこで、炭火で焼いたホタテ貝やさんまの塩焼きが乗客の皆様に振舞われていた。
私もお相伴を預かったが、とてもおいしかった。
地元の自慢のお土産品も、ずらりと揃っていた。

出港は6時。

その前に、大権現の舞が披露された。
それも日本一の大きさの大権現つまりお獅子の舞だ。

シャベルカーにセットされた大権現が、お囃子に合わせて命を得たかのように
舞い踊った。
すごい迫力。
船のデッキを見ると、大勢の乗客の皆さんが見入っていた。
なるほど、乗客の皆さんを部屋から外に連れ出す効果も狙っていたのかもしれない。

やがて6時になり辺りが夕闇に包まれ始めた頃、出港のアナウンスが流れた。
いよいよクライマックスだ。

ここで登場したのが、甘竹大船渡市長様。
マイクパフォーマンスの開始だ。
お立ち台の上で叫び始めた。

「にっぽん丸の皆様、大船渡にいらして頂いてありがとう!」
「ありがとう!」
「白川船長様、また来て下さい!」
「また来て下さい!」
「皆さん、さんまはおいしかったですか!」
「おいしかったですか!」

市長様の後に、子供たちが黄色い声で復唱する。
この掛け合いが、何とも言えない温かい雰囲気を作り出していた。

そのうち、乗客の皆さんが返事をし始めた。

「おいしかったです!」

素晴らしい光景だった。

やがて船が岸壁を離れ始めた。

それと同時に蛍の光が流れ始めた。
その曲に合わせ、さらに市長様のマイクパフォーマンスが続く。

「来年もお待ちしています!」
「白川船長さん、よろしければ返事の汽笛をお願いします!」
「ボーーーーー!」(汽笛)

まさに会話の世界。

お別れのテープが何本も船から投げられ、皆それを受け取って最後の握手をした。
また、幸せの黄色いハンカチを、数多くの市民の方々が振り、別れを惜しんだ。
この黄色いハンカチも、もちろん市の職員の方々が用意したものだ。
本当に手が込んでいる。

夕張に包まれた船の明かりが水面に反射し、実に美しい情景を作り出していた。
蛍の光の演奏が終わるまで、船が見えなくなるまで、ずうと岸壁に立って見送った。

実にいい経験をさせて頂いた。

この歓送迎のセレモニー、どの港よりも大船渡港が一番乗客皆さんの評判がいい
とのこと。
それはそうだろう。
たいへんな力の入れようだ。

でも、とても心温まるイベントで、忘れてしまった大事なものを思い出させてくれる。
「絆」の大切さとありがたさというのだろうか。
私もすっかり虜になってしまった。

今日も市役所の昨日とは違う管理職の皆様との研修があった。
もちろん、昨日のこの話題から入った。

そして最後に隠し持っていた黄色いハンカチを振って挨拶させて頂いた。

「皆さん、さようなら、また11月にお会いしましょう。きっと来て下さいね。」

拍手喝采であった。

来週の10/6(水)7(木)には、「飛鳥Ⅱ」が来るとのこと。
郵船クルーズが運航するさらに大きい客船だ。
そして、なんとこの大船渡港で一泊するとのこと。
これは、たいへん珍しいことだそうだ。
地元を上げて歓迎する大船渡の皆さんの熱意が伝わった結果だろう。

だんだん寒くなる中、風邪を引かないように十分注意しながら、熱烈歓迎をお願いしたい。

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2010年9月29日 (水)

青森名物ここにあり

昨日青森散歩をした際、アスパム(県の物産館)でおいしそうなものを見つけた。

その名を「ほたて十万石」という。

青森県陸奥湾で採れた帆立の貝柱を、マヨネーズをあえてかまぼこで包み焼いたものだ。
入っていた袋には、「創業明治36年伝統の味」と書いてあった。

実は、中味により3種類あった。
プレーン(マヨネーズ)味、わさび味、めんたいこ味がそれらだ。
しかし、一口サイズではあったが3つは少し多いかなと思い、プレーン味とわさび味を
買った。

ホテルに戻ってから食べたところ、プリプリとした歯ごたえとクリーミーな貝柱が
マッチし、とっても美味だった。
やはり産地の食材にはかなわない。
ちなみにこの製品、はなまるマーケットで千秋さんご用達の品とのことだった。

もう一品、帰りに立ち寄った駅ビルの中で、せんべいと出会った。
こちらは手焼きせんべいで、まさにその場でお兄さんが焼いていた。
ちらっと目が合った。

その目が、"今焼いたばかりのせんべいですので、ぜひ試食してみて下さい。"と
語っていた。
会釈をしてから、焼きたてのせんべいを試食した。

こちらも3種類あった。
ピスタチオせんべい、アーモンドせんべい、ピーナッツせんべいだ。
せんべいと言っても、米ではなく小麦粉でできており、どちらかと言うとビスケットに
近い感じだ。
その名を「手焼き津軽路せんべい」という。

全部、小片を試食した。

女性の店員さんに質問したくなり尋ねてみた。
「どれが一番人気ですか。」
「そうですね、ピスタチオとピーナッツが同じ位人気がありますね。」

なるほど、やはりそうか。
私の評価も同じだった。
しかし、ピーナッツの10枚入りは多過ぎたので、ピスタチオの6枚入りを買った。
値段はほぼ同じである。

その後、青森を後にしたスーパー白鳥の中でじっくり味わった。
香ばしいが甘みのある生地に、ピスタチオの苦味が絶妙だった。

高いものではないが、旅先で出会う庶民の味は、また格別のものがある。

今日は、昨夜中継地として泊まった一ノ関から再び大船渡に向かっている。
また、どのような出会いがあるか、今から楽しみだ。

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2010年9月28日 (火)

青森散歩

今朝、ホテルで目覚めて外を見たら、鈍よりと雲っていた。
昨日の天気予報では、青森地方はだんだん天気が崩れるとの事だった。
早く散歩に出掛けないと、雨に会ってしまうかもしれない。

青森に来たのは初めて。
そのため、青森の事を少しでも知りたいと思い、午前の半日だけだが少しでも
回りたく昨夜青森入りした。
前泊分は自腹だ。

限られた時間でどこを回るか、自宅にいるときから検討を重ねたが、ピンと来なかった。

そこで、昨日到着してすぐに駅前の観光案内所へ相談に伺った。
県立郷土館で北東北3県の見応えのある遺物の展示をしているという情報を得た。

ホテルのフロントでは、県立郷土館を含め、半日で歩いて行ける範囲を聞き取った。

これで徒歩で半日の行程で行ける観光スポットが大体決まった。
後は、着替えが入ったスポーツバッグをどこに預け、どのような時間配分で
行動するかだ。
タイミングよくバッグ受け取らないと、帰りの列車に間に合わなくなる可能性がある。

あれこれ考えながら、朝食を取った。
食べ終わったら、急に散歩したくなった。

「ちょっと散歩して来ます」

フロントにキーを預け、外に出た。

気持ちよかったので、そのまま八甲田丸まで歩いてみようと思った。
八甲田丸とは、既に役目を終えた青函連絡船である。
現在はメモリアルシップとして岸壁に係留され、観光の名所となっているのだ。

歩き始めたらだんだん気分が乗って来た。
食後の気分転換のため散歩に出たのだが、そのまま歩いてもいいなという
感じになった。

そして結局、岸壁沿いにあった観光スポットを踏破してしまった。

八甲田丸
津軽海峡冬景色歌謡碑
青函連絡船戦災の碑
ベイブリッジ展望台
ラブブリッジ
赤い糸のモニュメント
青い海公園
アスパム(県の観光物産館)
県立郷土館
善知鳥(うとう)神社
遮光器土偶モニュメント

ホテルを出たのが7時半。
戻って来たのが9時45分。
2時間15分、10Km以上歩き通したことになる。

10時ちょうどにチェックアウトした。
その後、ロビーをお借りして12時まで仕事をした。

今振り返ると、実に中味の濃い半日だった。
気分は爽快、体もほぐれたところで、午後の仕事に向かった。

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2010年9月27日 (月)

コンパクト電子辞書の活用

ビジネスバッグのポケットに収まる電子辞書が急に欲しくなった。

人前に立つ事が増えて来ると、語彙を正確に使う必要をより強く感じるようになって
来たのだ。
それと同時に、いろいろな状況を説明するためには、豊富な単語や表現方法も
求められる。

これまでは、迷う度に手帳に挟んだメモ用紙に調べたい内容をメモし、帰宅後に
確認していた。

しかし、最近より深く理解したい言葉が増えて来た。
リアルタイムで知るためには、常に手元に電子辞書を置いておく必要がある。

現在持っているシャープ製も小型だが、バッグのポケットに入れるには、
若干大きめなのだ。

ネットで当たりをつけてビックカメラへ行ったが、より素晴らしい製品が見つかった。

セイコーインスツル製SR-G7001Mが、その型番だ。

各辞書および百科事典装備の上、それらのデータがパソコンに接続して使えると
いう優れものだ。
充電もパソコンとのUSB接続で可能となっている。

まさにビジネスでパソコンと共に持ち歩くのに、打って付けだ。

大宮のビックカメラで現物を確認し、パンフレットをもらって電車に乗った。
新宿に着くまでの間に仕様を詳細にチェックし、これにしようと心に決めた。
その足で新宿のビックカメラに向かい、即購入した

現在ジムのサロンでさっそく手元に置いて操作しているが、実にいい。

ランダムに引いて、イモづる式に語彙を増やしていくのもいいかも知れない。
来年は改めて英語にも挑戦しようと思っているので、武器を早めに入手したとも言える。
英語の発音も聴けるのだ。

これから縦横無尽に活用することとしたい。

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2010年9月26日 (日)

工場見学【2連発】

今週は、充実した一週間だった。

前半は、第4四半期に取り組む仕事の研究に費やすことが出来た。
後半は、仕事で2つの会社へお伺いした。
どちらもメーカーだった。
それも、日本を代表する自動車と建設機械のビッグメーカーだ。

メーカーと聞けば、工場に興味がそそられる。
私にビール工場での勤務経験があるためだけではなく、
やはりものづくりの原点である工場は、私にとっては特別の場所なのだ。

そして今回訪問した所は、両方とも工場だった。

1社には、前もって打合せ後に工場見学させて欲しいと申し入れてあった。
そのため、会議室に初めからヘルメットと帽子が用意されていた。

もう1社は、研修のお昼休みにいきなりお願いして、案内して頂いた。

双方ともそれぞれ感じる事があったが、共通して強く印象に残ったことは、
通路にゴミひとつ、油ひとつ落ちていない点だった。
かなり広い工場だったが、きちんと整理整頓がなされている。

整理整頓は、言葉で言うのは簡単だが、工場という場所でいつもその状態に
維持するのは、実はたいへんな努力を要する。
誰か一人ががんばっただけでは達成出来ない。
全員がその気になることが必要なのだ。
それが出来ている。

日本のものづくりの強さは、こういう地道な努力に支えられた組織力に
基づいているのだろうなと改めて思った。

すれ違う作業者の誰もが、我々に対して会釈したり挨拶を返して来る。
外国の工場でこういうことがあるだろうか。

我々はもっと、現場に自信を持っていいのではないだろうか。

そんな気持ちを抱きながら、午後からの研修に向かった。

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2010年9月22日 (水)

北与野駅前のからくり時計

毎日お世話になる埼京線北与野駅西口のロータリーにからくり時計がある。

午前10時から午後8時までの毎00分に、からくりが動き出すしかけになっている。
奏でる音楽は、「80日間世界一周」。

男の子と女の子のペアが自動車に乗って世界中を旅するというモチーフだ。

よく見かけるということは、ちょうど00分に駅周辺にいることが多いということか。

そのため、時計に見入る方々の、ほのぼのとした姿を目にすることが多い。

午前中は、近くの私設保育園の園児たちが、保母さんに連れられてよく見に来ている。
人形を指で差しながら、はしゃいでいる姿がかわいい。

午後どきは、所在のないご老人が、近くにあるベンチに座ってぼーと見ている。
その先に、一体何を見ているのだろうか。

待ち合わせで立っていた若い女性の方が、演奏を始めた時計にびっくりして
振り向き、写メしていたこともあった。

そう、からくり時計なので、通常は単なる平たい四角形のモニュメントにしか
見えないのだ。
時間になると、壁の一部が開き、夢の世界が繰り広げられる。

ここ一週間ばかり、故障したのか壁が開かないことがあった。

これは旧与野市が建てたものなので、現在はさいたま市が管理していると
思うのだが、結構維持費がかかっているのではないかと思う。

何しろ、機械的に動く大きな部品が多いため、注油が欠かせないのではないか。
メンテナンスしているところを見たことがないので、からくりが動かない午後8時から
午前10時までの間に点検を行っているのかもしれない。

いつもは、通り過ぎるだけなのだが、壁が開かずからくりが見えないと
さびしい気になるから不思議だ。

今日、復帰していることに気づいた。

いつまでも、元気な姿で世界一周の旅を楽しんで欲しい。

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2010年9月21日 (火)

ななと一緒

今日は久しぶりに自宅にいる。

若干涼しくなって来たことと、減量後の体に慣れて来たこと、そして仕事もまだ山積して
いるが先行きの見通しが少し経って来たこと等が重なり、すこぶる体調がいい。

今日は特にジムに3日連続で通った後、リラックスしていることもあり、体が軽いうえに
体中にエネルギーが満ち溢れている感じがする。

その中、妻が昨日から実家に戻っているため、昨晩からななと二人っきりだ。
ななとは、ペットのチワワの名前である。

昨晩は、ななと一緒に寝た。
そして今朝から、ずうと私の部屋にいて遊んだりまどろんだりしている。

しばらく机に向かっていたが、ふと視線を感じななの方を見ると、じっと私を見つめて
いる。

そうだよな、ななとこんなゆったりした時間を過ごすのは、本当に久しぶりだ。
散歩に一緒に行ったのは、いつのことだったろうか。

「なな、散歩にいくか。」
「ワン!」

これで、決まり。

玄関に置いてあるリードを手にすると、ひざまづいた脚のうえに、飛び乗って来た。

マンションの庭が広いため、チワワの散歩にはちょうどいい。
芝あり低木あり散歩ロードありで、一周するとほどよい運動になる。

満足したそうな顔つきになったので、また声を掛けた。

「どうだ、気持ちいいか。」
「ワン!」

以心伝心とは、このことだ。
我々の間に、言葉はいらない。

今も、リビングのソファーの上に寝そべりながら、時々私の部屋に顔を出す。
何をしているのか、気になるのかもしれない。

「なな、いつまでも一緒にいような。」
「クゥ~ン」

本当にかわいいやつだ。100921

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2010年9月20日 (月)

勇気とは何か

勇気とは何か。

ある本を読んでいて、ふとこの問い掛けが目に止まった。

そして、そこには「勇気も育てられる」と書いてあった。
勇気というと生れつきのものという印象があるが、そうではないという。

国語辞典で調べてみると、「自分が正しいと思うことをやり遂げようとする
積極的な気持ち」とあった。

確かに、気持ちの問題ならば対応の仕方がある。

進む勇気、止まる勇気
はじめる勇気、やめる勇気
乗り越える勇気、引き返す勇気
主張する勇気、誤りを認める勇気
行動する勇気、謝罪する勇気
反対を押し切る勇気、孤独に耐える勇気
飛び込む勇気、捨てる勇気

こう捉えていくと、勇気はごく身近にあるものだと言える。

怖れるのではなく、自分を信じて歩むもの。
一歩一歩、前進すればいいのではないだろうか。

時には不本意に後退することもあるだろうが、これも長い目で見れば前進。
諦めない限り、失敗はないからだ。

勇ましいだけが勇気ではないことを再確認しよう。

自分の信念に従い着実に歩む、これこそが真の勇者ではないだろうか。

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2010年9月19日 (日)

MBTIの威力

MBTIの公認ユーザーになって5年が経過するが、改めてMBTIの持つ威力を
まざまざと見せつけられた。

先日、ある組織の研修をオブザーブさせてもらったのだが、そのスケジュールの
一部にMBTIが組み込まれていたのだ。

対象は新任の課長層だったが、異口同音にその指し示す内容に驚いていた。

ちなみに、MBTIとは、マイヤーズブリックスタイプインジケータといい、
世界で最も普及している性格パターン検査である。
ユング心理学をベースとし、それにさらに「判断の仕方」の指標を加え、より使える
内容としている。

この検査を用い、自分のベストフィットタイプを探っていくのだが、この自分を説き
明かしていく経過、別の表現をすれば、他者との違い、他者の行動理解に気づいて
いく経過に、たいへんな驚きと興味を抱いた様子だった。

私も過去に3回検査したが、その度に微妙に数値が変化し、その間に起こった自分の
内面の変化に思いを寄せ、さらに内省を深めた経験がある。

オブザーブしたのは、将来、この研修を担当することになるからだ。

しかし、講師としてMBTIを取扱うとなると、最新の注意が必要との認識も改めて
持った。
MBTIはタイプ論であり、決して特性論ではないからだ。
誤った使い方をすると、両刃の剣となり間違った方向へ誘導してしまうことになる。

しっかり勉強し直して、皆さんの自己再発見のお役に立ちたい。

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2010年9月15日 (水)

福井県立恐竜博物館

今、勝山市に開設されている福井県立恐竜博物館に来ている。

午前中に館内を一巡りし、レストランでプテラノ丼を頂いた後、リラックスしている
ところだ。
プテラノドンとは翼竜の一種だが、それをもじって鳥の照焼き丼としていた。
その名のとおり、鳥が羽を広げたように大きな切り身が乗っており、なかなか
おいしかった。

しかし、それにしても凄い展示内容だった。

本物かと思う程精巧な作りの恐竜の模型が多数設置されていた。
その上、何体かは身をよじらんばかりに複雑な動作をしていた。
そう本物そっくりに動いているのである。
まさにジュラシックパークそのものである。

その他、化石や写真、資料等も多数展示されており、しっかり読んでいると半日は
優に経ってしまうと思われた。

さすがは、世界3大恐竜博物館の1つだ。
福井県の恐竜にかける意気込みがよく分かった。

この博物館ができたのは、1989年以降の発掘調査によって多くの恐竜の骨が
勝山市で見つかったことに由来している。
2000年に開設されたというから、今年でちょうど10周年を迎えたことになる。

その間、フクイラプトル、フクイサウルス、フクイティタンやドロマエオサウルス類の骨が
発見された。
また発掘現場から恐竜の卵殻や幼体の骨が見つかったことから、この付近に
恐竜が群れで生活していたと考えられている。

ミュージアムショップも、充実していた。

大人の私でも、あれも欲しいこれも欲しいというオリジナルグッズで溢れていた。
衝動買いの誘惑に負けそうになったので、一旦頭を冷やすため、レストランに来た
ということもある。

この後、再度ショップに行き、何かを記念で買い求めたい。

今日は夕方から福井市で研修があるが、掴みは恐竜博物館の話しで行きたいと思う。
あまり長くならないよう、逆に注意する必要がありそうだ。

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2010年9月13日 (月)

最強の人生指南書

斎藤孝氏の書いた「最強の人生指南書」を読んだ。

内容は、江戸時代の儒学者である佐藤一斎(さとういっさい)が著した
「言志四録(げんししろく)」全1133条の箴言の中から、斎藤氏なりに選んだ言葉に
解説を加えたものだった。

佐藤一斎は、昌平坂学問所のトップ、今だと東大学長に当たる地位にいた方。

言志四録とは、言志録、言志後録、言志晩録、言志老(てつ)録を総称したものだ。

かの西郷隆盛も、直接教えを受けた訳ではないが、101条を選んで
「手抄(しゅしょう)言志録」としてまとめ、いつも持ち歩いていたと言う。

いくつもの、珠玉の言葉が並んでいた。

その中で、特に私の気を引いた言葉が、次の言葉だ。

「一燈を提(さ)げて暗夜を行(ゆ)く。暗夜を憂うること勿れ。只、一燈を頼め。」

この最後の一文の「只、一燈を頼め」が、実に味わい深い言葉だと思う。

何もかも出来る必要はない。
自分の得意技を磨き、それを持って自分の信じる道を歩む。
そうすれば、自ずと道は開かれる。

私は、そのように解釈した。

問題は、何を一燈とするかだ。
後のものは、捨てる覚悟も必要ということだろう。

さらに内省を深めて行きたい。

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2010年9月12日 (日)

バンドネオン奏者 三浦一馬

昨日、遅く帰宅してテレビのスイッチを入れたら、哀愁漂う調べが聞こえて来た。

何だろうと思い、その奏者の手にした楽器を見たら、見たことのない楽器だった。

アコーディオンのようでもあるが、鍵盤の代わりにボタンがついている。
古い伝統的な趣もある。

しばらくして、それがバンドネオンという楽器であることを知った。

この番組は、NHK総合の「トップランナー」。
しばらく、ご無沙汰していた番組だ。

そして、演奏していた若者の名を、三浦一馬氏と言った。
まだ若干20歳の青年である。

しかし、一度演奏に入ると、曲に引き込まれそうになる。
すごい表現力だ。

この楽器、三浦氏の説明によると、取り扱いがたいへん難しいとのこと。
ボタンが左に33個右に38個合計71個あるが、音程通りに並んでいない。
そのうえ、蛇腹を押すときと引くときで、別の音が出る。
習得が非常に難しいことから、「悪魔が発明した楽器」と呼ばれているそうだ。

それを、意図も簡単に操作し、素晴らしい音楽を奏でて行く。

司会者の一人である田中麗奈さんが、最後にこう質問した。
「三浦さんのゴールは何ですか。」

「バンドネオンと一体になることです。」

そこまで入れ込んでいるのか。

この20歳の青年の今後が楽しみだ。

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2010年9月11日 (土)

今日は私の人生で最も若い日である。

「人を育てる心理学」という本がある。

澤田富雄氏の著作だが、実に学ぶところだ多い。
もう何回読み直しただろうか。

ちなみに私の持っている本は、ご本人から直接頂いた。
何年も前のことだが、事あるごとに読み直している。

今回も見直す中で、表題に書いたフレーズが心に残った。

「今日は、私の人生で最も若い日である。」

この言葉、実は渡辺和子ノートルダム清心女子大学長の仰ったものと言う。

読んだ瞬間は、「ええっ」と思った。

しかし、その後の説明を読んで、なるほどと思った。

過去から今日を見るのではなく、未来から今日を見るとこうなる。

確かに、未来から眺めると私たちは今日より若くはなれない。
この事実に気づくと、今日を精一杯生きたいという思いが沸いて来る。

今日という日をどのように捉えるかで、全く違う思いとなるのだ。

過去を思って後悔するのではなく、将来の可能性に想いを託すのだ。

言葉は言霊(ことだま)とも言う。

これからも、大事な言葉を見つけ、胸に深く刻んで行きたい。

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2010年9月 8日 (水)

「たとえ、残酷な人よ(セッベンクルデーレ)」

先週土曜日の歌のレッスンから、新たなイタリア歌曲への挑戦が始まった。

タイトルが、「たとえ、残酷な人よ(セッベンクルデーレ)」という。

7/25(日)の発表会後、私のリクエストで「千の風になって」を習っていたが、
並行してイタリア歌曲も練習して行こうということになった。

この歌、実はその発表会のとき、仲良しになった女子高生が歌っていた歌なのだ。

出だしの旋律が憂いに満ちており、何とも味わい曲想となっている。

しかし、それ故の難しさもある。

半音の変調だらけなのだ。
上がったりさがったりして、忙しいことこの上ない。

先生からは「大丈夫」と言われているが、技術的にちょっと不安な面もある。
最後は、自分の音感に頼るしかなさそうだ。

そう言えば、いつもレッスンのときに、先生がピアノで弾く音を音感で捉え、
発声するトレーニングをしている。

逆に、音符を読んだ試しがない。
全部、聴いて感じたままを発声している。

そうか、このためのトレーニングだったのだ。

であるならば、さらに心掛けなければならない事がある。

それは、曲をハートで感じること。
歌うのではなく、吟じる。

うーん、遂にその時が来たか。

難しいけど、楽しみでもある。
自分の心と向き合ってみたい。

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2010年9月 1日 (水)

定年から輝く生き方

また凄い本を読んでしまった。

「定年から輝く生き方」 帯津 良一著

帯津氏は、川越にある帯津三敬病院の名誉院長で、ホリスティック医学に命を
かけている方だ。

ホリスティック医学とは、先生の言葉を借りると「体、心、いのちが渾然一体と
なった人間丸ごとをそっくりそのままとらえる医学」となる。

目指す姿は、西洋医学と東洋医学特に中国医学や代替療法を取り入れた
東西融合の医療だ。

本を読んで改めて驚くのは、その見識の高さと死生観の大らかさ。
スケールの大きさが違う。

この宇宙が虚空からビッグバンにより誕生してから150億年経つ。
すべての命の原点はそこにあるという。

我々の魂は、そこから限りない命の旅を続けて来た。
その休息の場として地球があり、人間はそこで途中下車して命のエネルギー
を補給し、改めて150億年かけて虚空に戻って行くと考えている。
なんと、人の生死を一巡り300億年の命の旅と捉えている。

生と死を、同じ線上を辿るひとつの輪として考えているのだ。

こんな言葉もあった。

「予感は虚空から生まれ、直感は内なる生命場に生まれます。」
「予感と直感が統合されるとき、命のエネルギーはきらめき、躍動するのです。」

詳しくは本に譲るとして、元は西洋医学を学んでいた方が、この境地に
達するまでに、どれだけの葛藤があっただろうか。

ご本人は、きわめてあっけらかんと書いているが、いろいろあったに違いない。
なにしろ元は、白い巨塔にいらした訳だから。

しかし、本当に魅力的な方だ。

生死を左右する病に罹ったら、帯津三敬病院に入院したい。
そこで楽しくこの世とお別れしたいと思った。

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