夕べに死すとも可なり
これは、論語の中の言葉だ。
:朝、仁への道が真に理解出来たなら、その夜に死んでもいい。
これは、孔子の覚悟を表わす一文と言われている。
仁とは、人を愛しむ心。
学問を深め、一生を掛けて仁の実現を探求し続けた孔子。
決して恵まれた境遇にいた訳ではないが、自分の信じる道を
歩き続けた。
日本人も、「道」という言葉が好きだ。
いろいろな所で使われている。
柔道、茶道、華道等。
ここで言う「道」とは、簡単に言うと「あり方」という事になる。
「あり方」は、自分の「生き方」に通じる。
新入社員研修で、「仕事道入門」というタイトルの研修を
担当している。
なかなか手強い研修だ。
なぜなら、講師の「仕事道」に対する見識の深さが問われるから。
仕事道は、前記に従うと、「仕事のあり方」という解釈になる。
しかし仕事をするのは、自分である。
という事は、「仕事の場での自分のあり方」、
さらに言うと、「仕事を通しての自分の生き方」という所まで
発展して来る。
そう、自分の生き方がはっきりしていないと、講師の側の軸が
ぶれてしまう。
しかし、だからと言って全てが見えている人等存在しない。
だから、謙虚になって、受講者の若者と、語り合い、気づき合い
お互いに何かを掴み合っていく事が大切だと考えている。
「仕事道は自分道に通ず」
自分と向き合う中から、道が拓かれて行く。
若者と話す中で、それを実感している今日この頃である。
| 固定リンク
コメント