« 意思と能力 | トップページ | 駆け巡るマゼラン銀河 »

2012年4月12日 (木)

夕べに死すとも可なり

これは、論語の中の言葉だ。
:朝、仁への道が真に理解出来たなら、その夜に死んでもいい。

これは、孔子の覚悟を表わす一文と言われている。

仁とは、人を愛しむ心。

学問を深め、一生を掛けて仁の実現を探求し続けた孔子。
決して恵まれた境遇にいた訳ではないが、自分の信じる道を
歩き続けた。

日本人も、「道」という言葉が好きだ。
いろいろな所で使われている。

柔道、茶道、華道等。

ここで言う「道」とは、簡単に言うと「あり方」という事になる。
「あり方」は、自分の「生き方」に通じる。

新入社員研修で、「仕事道入門」というタイトルの研修を
担当している。

なかなか手強い研修だ。
なぜなら、講師の「仕事道」に対する見識の深さが問われるから。

仕事道は、前記に従うと、「仕事のあり方」という解釈になる。
しかし仕事をするのは、自分である。

という事は、「仕事の場での自分のあり方」、
さらに言うと、「仕事を通しての自分の生き方」という所まで
発展して来る。

そう、自分の生き方がはっきりしていないと、講師の側の軸が
ぶれてしまう。

しかし、だからと言って全てが見えている人等存在しない。
だから、謙虚になって、受講者の若者と、語り合い、気づき合い
お互いに何かを掴み合っていく事が大切だと考えている。

「仕事道は自分道に通ず」

自分と向き合う中から、道が拓かれて行く。
若者と話す中で、それを実感している今日この頃である。

|

« 意思と能力 | トップページ | 駆け巡るマゼラン銀河 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 夕べに死すとも可なり:

« 意思と能力 | トップページ | 駆け巡るマゼラン銀河 »