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2013年2月14日 (木)

これが実語教か

平安時代末期から明治の初めまで、子供の教育のために約千年
もの間使われて来た教科書がある。
それが「実語教」。

江戸時代には、論語と共に、寺子屋で読み継がれて来た。
子供達は、実語教によって先人達の智恵と精神を学び、
それを自らが生きる支えにして来たと言う。

作者は不明。
弘法大師の作という説もあるが、本当の所は分かっていない。
鎌倉時代から普及し始めたと言う。

最近、この書の存在を知り、さっそく全文を読んだ。

なるほど、日本の精神的支柱になって来た考え方が
朗々と述べられている。
まさに、日本的美徳のエッセンス。

なぜ、これらが地に埋もれてしまったのだろうか。
これは、戦後の日本文化の混乱のためか。
戦前の全てを否定する風潮が、大事なものを失わせてしまった。

一節に、こう書かれている。

「玉磨かざれば光無し。
光無きをば石瓦(いしかわら)とす。
人学ばざれば智無し。
智無きを愚人とす。」

実は、福沢諭吉の「学問のすすめ」にも、この節の後段が引用され
人はしっかりと学ぶ必要があると書き記されている。

それ以外にも、両親・先生・目上の人への礼儀、兄弟・友達・後輩
との付き合い方等、人が人間社会で生きて行く中で、欠かせない
大事な要素が、例えを交えて分かり易く説かれている。

混乱を極める今の日本。
軸足が定まらず、外交を取ってみても、何か頼りない。

この時期だからこそ、我々は再度、日本精神の原点に戻るべき
ではないだろうか。

日本人は、再度一人ひとりが胸に手を当て、過去から脈々と
流れる日本人の魂を感じ取って欲しい。

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