「歎異抄」読了
致知出版社の「いつか読んでみたかった日本の名著シリーズ」が、
いよいよ第6巻で完結となる。
これまで、「学問のすすめ」「武士道」「西郷南洲遺訓」「代表的日本人」
「五輪書」と読み進めて来た。
今回は、日本で最も読み継がれてきた仏教書である「歎異抄」。
日本で最大の信徒を持つ浄土真宗を開いた親鸞の教えが記されている。
親鸞の死後、その教えが歪められていくことに心を痛めた弟子の唯円
(ゆいえん)が記したとされている。
内容は、深く、広いものだった。
さすがは宗教書。
一読しただけでは、到底理解し難い。
解説に、「この書の本質は、「本願を信じ、念仏申さば、仏になる」と言う、
ただ一言」とあった。
救いの要件を、「信」以外には見ないという姿勢で一貫している。
信じて念仏を唱えれば、それだけで救われると言う。
逆に、修行する事自体が、救いの邪魔になるとの事。
一見楽そうだが、自分を無にして念仏を唱える事が果して出来るのか。
また、悪人正機(あくにんしょうき)、つまり悪人こそ阿弥陀様が救い取る
正客(しょうきゃく)であるとしている。
次の言葉が、その考えを端的に表している。
「善人なをもて往生をとぐ、いはんや悪人をや」
:自分は善人だと思い込んでいる人ですら、往生できるのだから、
まして、自分は罪深き悪人だと自覚している人はいうに及ばない。
ここでの善人とは、自分の姿に気づかず、阿弥陀様の呼び掛けを
聞こうとしない自己中心的な人を指している。
一方、悪人とは、犯罪者の事ではなく、自分の卑しいあり方に
気づき、また阿弥陀様からの慈悲を受けながら、それに即する事が
出来ない人を指している。
「生きていること」から「生かされていること」への回心。
まだまだ、未熟である事を、思い知らされた。
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