「老子」に生き方を見つけたり
中国古典について、昨年から一連の書を読んで来た。
「孫子の兵法」「論語」「韓非子」「詩経」「大学」「陽明学」
そして、今回の「老子」。
諸子百家の内、兵家、儒家、法家、そして道家の
考えに触れて来た事になる。
どの書にも感銘を受けたが、最もこれは凄いと思ったのが、
老子の捉え方だった。
儒家の「礼」を人為的制約として否定し、無為自然を説いている。
それ故、一見捉え所がないが、よく吟味すると、実に味わい深い。
「学(がく)を為(な)せば日々(ひび)に益(ま)し、道(みち)を為せば
日々に損(そん)ず。
これを損じて又(ま)た損じ、以(もっ)て無為(むい)に至る。
無為にして為(な)さざるは無し。」(第48章)
:学問を修めていると、知識はますます増え、何事に対しても
広く知る事が出来る。しかし「道」を修めていると、一日一日と
知識への囚われがなくなって来る。
知識への囚われをさらに減らして行くと、遂に無為の心境に
至る。そうすると、何を行っても抵抗を受ける事なく、
知識を生かして全ての事を立派に成し遂げられるようになる。
無為とは、何もしないという意味ではない。
作為的に不自然な行動をしないと言う事であり、虚心に努力する
と言う深い意味が含まれている。
全編から伝わって来るものは、まさに余計な力を抜いて自然体と
なり、自然の法則に従って生きる事の力強さだ。
何が身辺に起っても柔軟に受け止め、それらと「和」し、目立たない
が、確実に事を成し遂げて行く。
そして、知らぬ内に、その内的な力で周りを感化して行く。
まさに、私の目指す生き方だ。
老子は、奥が実に深い。
何度も読み直し、さらに奥義を極めて行きたい。
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