論文審査で思う事
現在、某社の管理職の方々の論文審査しているが、改めて
自分の取り組み方を具体的に語る難しさを、痛感している。
ご本人としては精一杯書いていらっしゃるのだが、ほとんどは
学習した内容を整理して記述しているに止まっている。
論文で大事な事は、学んだ事を分解・整理し直し、自分の
言葉に置き換える事。
そして、さらに大事な事は、自分の内面の気づきと、それ
に基づいて、いかにして自分を律していくかを具体的に語る事。
なぜならば、具体的であればあるほど、実現の可能性が
高まるから。
でないと、文字通り「絵に描いた餅」になってしまう。
だが、ここが難しい。
学びが余程腑に落ちていないと、具体的な行動レベルにまで
昇華して記述する事は難しい。
今回は特に、中国古典の解釈と、それをベースに自分の考え
と行動を問うた設問だったので、より難しかったと思う。
中国古典の言葉の解釈は、解説本もあるので、いくらでも書ける。
しかし、それを自分なりに解釈し、自分の今後の行動に
落し込むとなったら、内省をかなり繰り返す必要がある。
でも、その難題を、学習した内容の体系的理解と、
今後の自分の役割と決意を、簡潔に述べた凄い論文とも
出会う事が出来た。
数日を掛け、60冊を超える論文を何回も読み直している。
読んだ回数は、5回を下らない。
そして、読む度に、これらの論文を書いている方々の顔が
目に浮かび、いろいろな想いがこみ上げて来る。
文面を通し、ご本人の内面を探る事により、また新たな出会い
を繰り返しているようでもある。
審査はたいへん。
しかし、私にとっては、これが「学びの場」と受け取っている。
まさに、喜びの場、楽しみの場なのだ
改めて、再度読み直す事にしよう。
| 固定リンク
コメント