中国古典の「素読」開始
4月の年度初めから、中国古典の素読を始めた。
きっかけは、致知出版社のセミナーに参加した事。
そこで、大学と論語の素読を、参加者全員で行った。
素読とは、先生が読み上げた内容を、そのまま大きな声で
皆で唱和する事。
内容の理解は二の次。
まずは、声に出す事が大事とされている。
「読書百遍、意自ずから通ず」と言う言葉がある。
自分の目と口と耳と皮膚を働かせて、エッセンスを吸収する。
繰り返し続ける事によって、体に浸み込み自分の血となり
肉となる事を狙いとしている。
まずは理屈抜きと言う事なので、すぐに始める事が出来る。。
そのため、江戸時代に寺子屋で広く行われていた。
現在、その音読効果が改めて見直され、各所で行われている。
私の場合、2回に分けて自宅で一人で行っている。
朝に、論語512章句のうち、音の響きにいい54章句を素読。
使っている本は、「子や孫に読み聞かせたい論語」安岡定子氏著。
論語は、孔子の死後、弟子達によって著された孔子の言行録。
夜に、大学全文を素読。
使っている本は、「大学を素読する」伊與田覺氏著。
大学は、修己治人の最も手近な古典と言われており、
孔子の弟子である曾子及びその弟子達によって著された。
まだ3日間しか行っていないが、すでに挫折寸前。
特に、夜の部がきつい。
夕食を取り、メールや伝票を処理し、明日の仕事の準備を
し終わる頃には、瞼が閉じそうになる。
まさに、睡魔との戦い。
特に、素読をしていると、自分の声が子守唄に聞こえて来る。
伊與田先生曰く、「それが時あって外に滲み出ると「風韻」となり、
そういう人格を「風格」と言う。」
実行あるのみだ。
| 固定リンク
コメント