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2013年4月 4日 (木)

中国古典の「素読」開始

4月の年度初めから、中国古典の素読を始めた。

きっかけは、致知出版社のセミナーに参加した事。
そこで、大学と論語の素読を、参加者全員で行った。

素読とは、先生が読み上げた内容を、そのまま大きな声で
皆で唱和する事。

内容の理解は二の次。
まずは、声に出す事が大事とされている。

「読書百遍、意自ずから通ず」と言う言葉がある。

自分の目と口と耳と皮膚を働かせて、エッセンスを吸収する。
繰り返し続ける事によって、体に浸み込み自分の血となり
肉となる事を狙いとしている。

まずは理屈抜きと言う事なので、すぐに始める事が出来る。。
そのため、江戸時代に寺子屋で広く行われていた。
現在、その音読効果が改めて見直され、各所で行われている。

私の場合、2回に分けて自宅で一人で行っている。

朝に、論語512章句のうち、音の響きにいい54章句を素読。
使っている本は、「子や孫に読み聞かせたい論語」安岡定子氏著。
論語は、孔子の死後、弟子達によって著された孔子の言行録。

夜に、大学全文を素読。
使っている本は、「大学を素読する」伊與田覺氏著。
大学は、修己治人の最も手近な古典と言われており、
孔子の弟子である曾子及びその弟子達によって著された。

まだ3日間しか行っていないが、すでに挫折寸前。

特に、夜の部がきつい。
夕食を取り、メールや伝票を処理し、明日の仕事の準備を
し終わる頃には、瞼が閉じそうになる。

まさに、睡魔との戦い。
特に、素読をしていると、自分の声が子守唄に聞こえて来る。

伊與田先生曰く、「それが時あって外に滲み出ると「風韻」となり、
そういう人格を「風格」と言う。」

実行あるのみだ。

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