瞼を閉じて歩いてみれば
最近、目を閉じて過ごす時間が、多くなって来たように思う。
睡眠の時間が多くなったという事ではない。
敢えて目を閉じて、目からの情報を遮断すると言う事。
省察(せいさつ)の時間と言ってもいい。
本は、読むだけでは意味がない。
そこから、自分なりに解釈し、行動に移して初めて意味がある。
そして、それは本だけではない。
身辺で起こった出来事も含め、頭に一旦入力された情報を分解する。
その上で、別の知識や知見と結合し、構成し直す。
その過程で、思っても見なかった思考回路が拓かれる。
これが、大変意味がある。
自分だけの洞察となる。
そのためにも、独り静かに考える必要がある。
中国古典の「大学」で言う、「慎独」だ。
現在、慎独している場面は、いろいろ。
・デスクの前で瞑想する
・中国古典を素読する
・イタリアオペラを歌う
・ダイビングをする
・夜空を眺める
・朝日が昇るのを見る等
その中で、全く違う世界で内省を深める方が、気づきが大きい
事が分かって来た。
最近、敢えて目を閉じて歩いてみる事を試してみた。
いつも歩いている裏通りの公園横の歩道で、空いている時、
安全を確認した上で。
次々に入れ替わる音の数々。
木の葉の音、鳥のさえずり、微かな風の音等
新鮮な世界が、そこに繰り広がる。
我々の周りには、目には見えないが、素晴らしい世界が
広がっている。
それを、ただ感じていないだけ。
これからも、感性を豊かにし、未知の世界へ魂を解放したい。
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