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2013年9月16日 (月)

「二宮金次郎の幸福論」読了

二宮金次郎の名前は、日本人なら知らない者はいないだろう。

よく小学校に、銅像が建っていた。
私の過ごした小学校にも、職員室の前の中庭に、凛と建っていた。

江戸後期の疲弊した農村を立て直した農政家。
その数は、関東十国600村以上に及んだと言う。
これらの業績を称えられ、後に士分に採り立てられた。

幼名を金次郎と言い、その後は尊徳と改めた。
その7代目子孫が、中桐万里子(なかぎり まりこ)氏。

この度、「二宮金次郎の幸福論」として、初めて書籍を出版された
ので、さっそく購読した。

金次郎は、名前は知っていたが、その実態はよく把握していなかった。

図書は、5代目祖母からの伝承と語録の解釈を自分なりに行った
内容で、生き生きと記されていた。

子供の頃から金次郎を身近に感じて来た者ならではの、等身大の
金次郎が語られていたように思う。

金次郎は、私が思っていた以上に「行動」を重んじる人物だった。
まず行動し、ここから成果を得て行く。

目的ありきではなく、足元を見て、今出来る事に真摯に取り組む。
そうすれば、成果は自然と得られる。
だから、変な力みが全くない。
自然体そのもの。

これは、キャリア論の「計画された偶然理論」と同じ。
また、相手を信頼して臨む姿は、人材育成論のラーニングのアプローチ。

読みながら、実践を通して、これらを体得して言った金次郎の感性の
鋭さと粘り強さ、そして相手に対する限りない愛情と自信を感じ取った。

金次郎は、182cm 94kgの巨漢だったとの事。
銅像からは、全く伺い知れない事実。

薪を背負った金次郎が読んでいた本は、中国古典の「大学」。
きっと、「行動」を「知識」で検証していたのだろう。
これは、陽明学の「知行合一」の考え方。

見習いたいものである。

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