« NBシューズ購入 | トップページ | 「担ぎ上げ背負い」がカッコいい »

2013年10月15日 (火)

「和」をもって尊しとする

ある本を読んでいて、日本の国体について記述している箇所で
目が止まった。

時々目にする、この国体という言葉。
改めて、広辞苑で調べてみた。
①国の状態、②国家の対面、③主権の所在により区分した国家体制

どの説明も、ピンと来ない。
もっと深い意味が、含まれているのではないか。

その本を読みながら、自分なりに、「国の拠って立つ精神的基盤」と
いう意味を見い出した。

そう捉えると、アメリカの国体は、「自由」という事になる。
フランスは「平等」。

そして、日本は「和」に象徴されるように思う。
聖徳太子の「和をもって尊しとする」が、それを物語っている。

この国体がなくなれば、その国の存在価値が失われる。
そう言い切っても過言ではないだろう。

だから、日本が敗戦を迎えた時、時の政権は、国体護持を筆頭に
掲げて奔走した。
それが、天皇を中心に「和」を念頭に置いた立憲君主制である。

この「和」の精神が我々のDNAになっている事を、2年前の東日本
大震災の時に、我々は改めて認識した。

絆という言葉の下に、数多くのボランティアの方々が、被災者を
支援するため、献身的な働きをした。

震災は不幸な出来事ではあった。
しかし、その極限状態が、本当の姿を映し出す鏡ともなった。

ただし、この精神的基盤も、バランスが必要。
自由が行き過ぎたら、無秩序となる。
平等が行き過ぎたら、息苦しくなる。
和が行き過ぎたら、慣れ合いとなる。

他者を受容しながら、自らを律する姿は、どの国体でも重要。
その上で、お互いに、積極的で協調的な自己主張を行う。

果して、こう言う関係が、国家間、組織間、個人間で
出来ているだろうか。

現在の厳しい世界情勢を見る度に、理解し合えない
もどかしさを感じる。

|

« NBシューズ購入 | トップページ | 「担ぎ上げ背負い」がカッコいい »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 「和」をもって尊しとする:

« NBシューズ購入 | トップページ | 「担ぎ上げ背負い」がカッコいい »