« スマートフォンを置き忘れた! | トップページ | 回数券を持っているのに »

2013年10月 7日 (月)

「大学」の素読再開

中国古典である「大学」の素読を、9/15(日)から再開した。

今年の4/1(日)から、論語の素読と共に始めたが、
4か月続けた所で、8/2(金)に一旦終了していた。

朝の時間を30分近く取られる事と、目的としていた
中国古典をベースとした研修が、間近に迫った来たため。

しかし、その研修も前期が終了し、他の仕事も落ち着いて
来たため、改めて再開する事にした。

でも、実は、時間のゆとりが出来たためだけではない。
中断していたこの2か月、何か物足りなさを感じていた。
自分の精神的支柱が、希薄になったような感じ。

実は、「大学」に書いてある内容は、自分が元から持って
いた考えに、とても合致していた。

そのため、新しい考えを他から得ると言う意味では、
もうこれ以上、読まなくてもいいと思ったのだ。

しかし、それは浅はかな考えだった。

自分を振り返って見た時に、想いを全て文字に表わす
事が出来るかと問われたら、全くその域には達していない。

そして、改めて「大学」を開いて字を追って行った時
気づいた事があった。

これまでは、単に書いてある文字だけを読んでいたのでは
ないかと。
行間や、その言葉の裏にある真意を、どれだけ理解出来て
いたのだろうかと。

自分に問い掛け、自問自答する事を、どれだけ出来て
いただろうか。
確かに、読むだけで精一杯の所があった。

これでは、足りない。

素読は、「目」にした文字を「口」から声に出して素直に読む事。
その声を自分の「耳」を通して、体に浸み込ませて行く。

しかし、それだけでは足りない。
「皮膚」からも、浸み込む程に読み込んで行く必要がある。

自然と「大学」の言葉が口を突いて出て来るようになって
初めてその域に達し、真意が理解出来るようになるのでは
ないか。

自分の至らなさを、改めて感じた。

|

« スマートフォンを置き忘れた! | トップページ | 回数券を持っているのに »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 「大学」の素読再開:

« スマートフォンを置き忘れた! | トップページ | 回数券を持っているのに »