花無心(はなむしん)
「花無心招蝶、蝶無心尋花」
:花は無心にして蝶を招き、蝶は無心にして花を尋ねる
これは、江戸時代の禅僧 良寛の詩。
花も蝶も、作為的に行動している訳ではない。
どちらも、無心のまま「自然の摂理」に従って共生している
と言う意味。
何と、肩から力の抜けた詩だろう。
我々は、行動する時に考え過ぎているのかも知れない。
これが、自分にとって役立つのか役立たないのか。
または、利益になるのか等。
現実に生きる以上、この判断は欠かせない。
しかし、何を基準に判断するかが、その後の生き方の
分かれ道になる気がする。。
自分の「利」を基準にするのか、公の「義」を基準にするのか。
論語に、次の言葉がある。
「君子は義に諭り、小人は利に諭る」
義とは正義の事。
君子は、天に誓って何が「正しい」のかを基準とする。
天とは、見方によっては「自然の摂理」とも言える。
天地の営みを自然な形で受け入れられた時、我々は
「空(くう)」の境地に立てるのかも知れない。
万物を受容し、拘らない。
私にとっては、まだまだ程遠い世界の話し。
まずは、素直に生きる事から始めたい。
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