「吉田松陰『留魂録』」読了
致知出版社から発刊された「吉田松陰『留魂録』」を
読み終えた。
『留魂録』は、松陰が処刑前日までの1日半を
掛けて書き上げた絶筆。
留魂の想いは、冒頭の句に象徴されている。
「身はたとひ武蔵の野辺に朽ぬとも
留置(とどめお)かまし大和魂」
:たとえ、我が身が武蔵国江戸の野辺に朽ち果てた
としても、日本という神州の行く末を思う我が
大和魂だけは、永遠にこの世に留めておきたい。
尊皇攘夷派の思想家・教育者として、大いに
影響力を発揮した松陰。
松陰は、30歳の若さで露と消えた。
しかし、その想いは、松下村塾の双璧と言われた
久坂玄瑞と高杉晋作に受け継がれた。
極言すれば、この高杉晋作が日本を変えたと言える。
禁門の変で久坂玄瑞が自害後、長州藩は高杉晋作の
主導で尊皇攘夷論を唱え、敵対する薩摩藩と同盟を
結んで倒幕を実現した。
徳富蘇峰が著した「吉田松陰」の冒頭に章には、
「松陰を語らずして明治維新を語るなかれ」と言う
趣旨の内容が語られている。
松陰が座右の銘にしていた、孟子の言葉がある。
「至誠にして動かざるは未だこれあらざるなり」
:至誠の心で接すれば、誰でも動かす事が出来る。
松陰は、一方では柔軟な考えの持ち主でもあり、
外国の力を知り日米和親条約締結後は、尊皇開国派
となった。
一口では語れない、松陰の情熱的な生き方。
また、別の角度から味わい直したい。
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