ジェンダーに思う
本日、ジェンダー論の学習会に参加して来た。
ジェンダーとは、「社会的性差」と訳されている。
「男だから」「女だから」と言うだけで、なぜか
一般的に役割が決められてしまっている。
いわゆる、性による固定的な役割分業。
それを、ジェンダーと呼んでいる。
これからの世の中の発展を考えた場合、
これまでの固定概念で対応出来るのかと
言うのが、根本的な問い掛け。
少子高齢化で労働力が減退している。
頼りになるのは、女性と高齢者。
働き手として、女性の力が必要とされている。
また、少子を挽回するためにも、子を持って
いても女性が安心して働ける環境を、会社だけ
ではなく、社会全体で作って行く必要がある。
社会的環境を整える意味から、子供を育てる
役割を、男も担う必要がある。
名実ともに、新たな視点に立って、役割を
見直す時期が既にやって来ている。
講義を聴いて思った事。
それは、いかに妻に犠牲を強いて来たかと
言う事。
単身赴任もそうだったが、良かれと思って
行って来た事が、見方を変えると、自分の
思い込みだったような気もする。
知らない間に、自分で役割を決めていたような。
我が家での自分のあり方を、改めて考え
させられた。
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