ルーティンがベースを創る
この連休中、黙々とルーティンをこなして来た。
5時に起床して、論語の素読。
オペラの楽譜確認&発声、フェンシングの素振り。
その後、秋の仕事に備え、プログラムの検討等。
午後は、ジムに出向いてトレーニング。
スタジオが空いている時は、シャドーフェンシング。
その後、アクアウォーキング&スイミング。
往復の電車の中では、ひたすら論語の熟読。
この繰り返し。
そして、ジムのサロンが、最高の癒しの場。
日頃も、登壇以外の日は、このパターンが多い。
しかし、繰り返す中で、何かを得ている実感がある。
心技体の各面で、感じる充実感。
以前は、どこかへ出掛ける事が多かった。
美術館や博物館、映画館等。
今も、地方へ出張する時は、時間を作って
旧所名跡を訪ねている。
しかし、最近は、近場でどこかへ出向く事が、
めっきり少なくなった。
論語に、「六十にして耳順(したが)う」という言葉がある。
その意味は、60になって、人の言葉や天の声が、
素直に聞けるようになった、というもの。
この人の言葉には、自分の内なる声も含まれる
のかも知れない。
ルーティンを行っていると、余計なものが省かれ、
ものの本質が見えて来るような気がする。
今後も、今行っている事を、大事にして行きたい。
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