真に「楽しむ」とは
論語の中に、以下の章句がある。
「之を知る者は、之を好む者に如かず、
之を好む者は、之を楽しむ者に如かず」
知らないものを知る喜びは、確かに存在する。
ここでは、好奇心がものを言う。
しかし、好むや楽しむは、結果としてなるもの。
目指すものではない気がする。
無理に「好きになろう」や「楽しもう」と思っても、
こじつけにしかならない。
それよりも、現実を見据えながら、自分を信じて
行動する事の方が大事。
まず、突破口を見い出す。
見つかったら、勇気を持って突き進む。
求めるものが大きければ大きい程、それはいばらの道。
場合によっては、一生を掛ける事になるかも知れない。
道半ばのいばらの道を歩む事自体を、好きだと思ったり
楽しいと思ったら、これは本物。
心に余裕がなければ、「好き」も「楽しむ」もないだろう。
ちょうど、山の頂上へ向かう中腹の見晴らし台で、
素晴らしい眺めに感動し、新たな闘志が沸いて来るのと
似ている。
山が高ければ高い程、それは充実感に満ちたものになる。
問題は、その中腹に至るまで我慢が持つかどうか。
途中での困難は、天が与える試練なのかも知れない。
試練を与えられる事自体を、喜びと受け止めて行きたい。
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