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2017年3月 6日 (月)

「勝海舟修養訓」読了

勝海舟とは、明治維新前後で活躍した、
徳川幕府の幕臣。

幕臣でありながら、開国論者。
そして、生粋の江戸っ子。

大きく移り変わる、世界の世相を感じ、
自分の考えを旧体制の中で、訴え続けた。

官軍の大将である西郷隆盛と渡り合い、
江戸無血開城を成し遂げた。

江戸の町と庶民を救っただけではなく、
これで、優秀な幕臣を死する事なく温存出来た。
維新後、外国に対する国作りにどれ程役立ったか。

また、維新前の第2次長州征伐を始め、
徳川慶喜に、2回も辛酸を舐めさせられている。
しかし、最後まで忠義を尽くした。

その象徴が、明治31年(1898)、私人となっていた
徳川慶喜を明治天皇に拝謁する機会を作った事。
表向きは、有栖川宮威仁親王の斡旋となっているが。

この拝謁をきっかけに、慶喜は侯爵となり
元将軍に相応しい待遇を受けられるようになった。

維新後30年経過しても、忠義を尽くす。
海舟にとっては、ここで維新が完結した。

筋は通すが、かたくなではない。
相手の話しを、真摯に受け止める。

耐える時は寝て待ち、動く時には烈火の如く
立ち振る舞う。

周りから異端児と思われていた海舟の胸の
内は、如何ほどだったのだろうか。

最期は、「これでおしまい」と言って、77歳の
生涯を閉じた。

辞世の句はなし。
消ゆるのみこそ誠なりける。
まさに、至誠の真骨頂ここにありの生き方だった。

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