「勝海舟修養訓」読了
勝海舟とは、明治維新前後で活躍した、
徳川幕府の幕臣。
幕臣でありながら、開国論者。
そして、生粋の江戸っ子。
大きく移り変わる、世界の世相を感じ、
自分の考えを旧体制の中で、訴え続けた。
官軍の大将である西郷隆盛と渡り合い、
江戸無血開城を成し遂げた。
江戸の町と庶民を救っただけではなく、
これで、優秀な幕臣を死する事なく温存出来た。
維新後、外国に対する国作りにどれ程役立ったか。
また、維新前の第2次長州征伐を始め、
徳川慶喜に、2回も辛酸を舐めさせられている。
しかし、最後まで忠義を尽くした。
その象徴が、明治31年(1898)、私人となっていた
徳川慶喜を明治天皇に拝謁する機会を作った事。
表向きは、有栖川宮威仁親王の斡旋となっているが。
この拝謁をきっかけに、慶喜は侯爵となり
元将軍に相応しい待遇を受けられるようになった。
維新後30年経過しても、忠義を尽くす。
海舟にとっては、ここで維新が完結した。
筋は通すが、かたくなではない。
相手の話しを、真摯に受け止める。
耐える時は寝て待ち、動く時には烈火の如く
立ち振る舞う。
周りから異端児と思われていた海舟の胸の
内は、如何ほどだったのだろうか。
最期は、「これでおしまい」と言って、77歳の
生涯を閉じた。
辞世の句はなし。
消ゆるのみこそ誠なりける。
まさに、至誠の真骨頂ここにありの生き方だった。
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