命とは時間である
先日送られて来た致知出版社のメルマガに
聖路加国際病院の日野原重明先生が、生前に
語られた「命の授業」が紹介されていた。
先生は、2週間に1度、小学校に出向いて、
10歳の生徒に45分間の授業をなさっていた。
授業で、命がどこにあるか問い掛ける。
ある子が、心臓にあると言った。
そこで、先生曰く。
「心臓は確かに大切な臓器だけれども、これは
体に血液を送るポンプであり、命ではない。」
「命とは感じるもので、目には見えないんだ。」
「空気と同様、大切なものは、目には見えない。」
「では、命は、なぜ目に見えないのか。
それは、命は、皆が持っている時間だからなんだよ。」
「死んだら使える時間もなくなってしまう。
どうか1度しかない自分の時間/命を、どのように
使うかを、しっかりと考えながら生きて欲しい。」
「さらに、その命を、自分以外の何かのために使う
事を学んで欲しい。」
『命とは時間である。』
なるほどなと思った。
天から与えられた命。
「もの」ではなく、「こと」として捉える。
意味よりも、置かれた状態に目を向ける。
我々は、生物として生を営んでいる。
ただし、その時間は有限。
ならば、その有限の時間をどのように活かすかが大事。
「僕の授業を聞いた小学生からある時、手紙が届きました。
そこには、寿命という大きな空間の中に、自分の
瞬間瞬間をどう入れるかが私たちの仕事ですねと
書かれていました。」
我々は、この深い問い掛けを心して、生を全うしたいものだ。
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