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2020年1月31日 (金)

育児休暇の真の意味とは

小泉進次郎大臣が、育児休暇の取得を表明した。
これは、素晴らしい事だと思う。

中には、立場が分かっていないと批判する方も居る。
しかし、ここで育児休暇がなぜ必要なのか、
改めて考える必要があるだろう。

端的には、育児に関する負担を夫婦で分担するためと
捉えられているようだが、それだけなのだろうか。

日本は、少子高齢化に突き進んで居る。
それを思うと、今後の日本を支える子供達は、
一人ひとりが貴重な存在。

子供の成長を身近で支えるのが、両親である事は
間違いない。
しかし、昔は村全体で子供達を育てた。

この観点から見ると、育児休暇は、単に夫婦の負担
軽減のためだけの制度ではないと思う。

将来の日本を担う人材を育てるスタートの制度と
位置づける事も出来る。

育児休暇は、誰もが取得出来る制度であるべき。
大臣に限らず、各組織のエースで、いなくては
困る人であってもだ。

ましてや、組織貢献していない者は休むべからず、
逆に言うと、組織貢献した者だけが取得可能という考えは、
育休を条件付きの施しと認識して点で間違っている。

育休に限らず、何かの事情で、突然メンバーが不在と
なる事も考えられる。
それに比べたら、育休時期は予測が可能。

組織の管理者は、発生が考えられるあらゆる状況を捉え、
事前に準備しておく必要がある。

広義で捉えると、これは危機管理の世界に属する。

管理者は、心して取り組んで欲しいと思う。

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2020年1月30日 (木)

「正射必中」の極意

致知出版社のメルマガで、素晴らしい言葉と出会った。
それが、「正射必中」。
これは、弓道の教えとの事。

この言葉を胸に、経営に活かした方が紹介されていた。
その方は、高級チョコレートメーカーである
ゴディバ・ジャパン社長のジェローム・シュシャン氏。

社長就任から5年で、売上高を2倍に伸ばしたと言うから凄い。
その「正射必中」の経営の神髄を、語られていた。

「日々行う事に、ベストを尽くす。
 これが今、日本の会社で1番足りない所です。」

「上から命令されても、やる気は出ないでしょう。
 明るく楽しくと一所懸命の、両方が大事です。」

「結果ではなく、プロセスを求めるのは、弓道の教えに
 基づいています。」

「弓道には、「正射必中」という言葉があります。
 正しく射られた矢は、必ず的に当たるという意味です。」

「矢を放つ前に、当たるかなと思っていると失敗します。」
「しかし、結果に気を取られず、練習した事を淡々と、
 一所懸命やれば、必ず的に当たります。」

「弓道では、矢を放つまでのプロセスを大切にしています。」
「プロセスを正しく行えば、結果は必ず付いて来ると。」

この過程を徹底する事が、大事なのだろう。
もっと言うと、矢をつがえる前に、勝負は決しているのかも。

的に正対する前の厳しい鍛錬と、天命を待つ静かな心。
ここに至って、必中の極に達すると思われる。

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2020年1月26日 (日)

折り紙に学ぶ

孫と創作の喜びを共有しようと思って
始めた折り紙。
やってみたら、結構奥が深い。

現時点ではまだ初歩の初歩だが、
既にその難しさに直面している。

鶴とか、馴染みの深いものから始めたが、
最初は美しく仕上がらなかった。
原因は、きちんと折っていなかったため。

最初、甘く見ていい加減に折っていた。
すると、だんだん歪みが大きくなり、
最後に端と端が合わなくなってしまった。

最初から、寸分違わず折っていかないと
全くものにならない。

しっかり折るためには、端をきちんと合わせ、
力を込めて押し固める必要がある。
指を細かく使うので、脳に良さそう。

複雑なものになって来ると、本に書いてある
図を理解するだけでも大変。
読解力と認識力が鍛えられる。

これは、ぼけ防止に最高だ。

孫を喜ばすためにと思って始めたが、
それ以上に、自分のためになりそう。

やり過ぎると疲れてしまうので、今は
原則として、1日に1個作成で止めている。

すでに、カブトムシ、クワガタや
カエル、トンボ、セミ等を作った。
この後は、恐竜たちにも挑戦したい。

自分で試しながら、折り紙のコツと楽しさを
会得し、孫へ伝えて行けたらと思う。

創作意欲に、火が付いた感じだ。
また、新たな世界が広がり始めた。

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2020年1月23日 (木)

改めて蔵書の整理を行う

5年に1回の、蔵書整理の時期がやって来た。

実は昨年4月、1年先行して行った。
しかし、改めて書棚を見渡すと、何かが
足りない。

何だろうと考えた時、隙間が足りない事に
気づいた。

そう、空白の空間が少なくなっていたのだ。
オーバーフローに近づいている。
そうすると、無意識に本の購入を控える事に。

ここは、厳しく選定して本を捨てる必要がある。
という事で、3日間かけて全図書に目を通し、
振るいに掛けた。

大事にしていた本でも、10年間目を通さなかった
ものは、基本的に思い切って捨てた。
自分の中で、底本と思われるものだけを残した。

そして、強制的にスペースを作った。

さて、このスペースを、今後どのように
活用して行くか。

まず、人間力を高めるための蔵書を増やして行きたい。
中国や日本の古典の研究に役立つ本を増やして行きたい。

残ったスペースは、ゆとりの空間として使いたい。
孫の、知育・徳育に役立つ本や玩具、
私自身の、ライフキャリアを豊かにする品々。

書棚の使い方も、いろいろ。
これからは書棚と狭く捉えず、単なる「棚」と考え
多様な活用を目指して行きたい。

最終的には、蔵書が限りなく少なくなり、
心を豊かにするもので満たされる事が理想かも、

そのためにも、良書を味読し、自分の中に取り込み
一体となる事を目指したい。

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2020年1月18日 (土)

体育・知育・徳育

先日、新聞の折り込みちらしに入っていた、
近所の保育園の募集案内に目が止まった。

そのちらしの表に、大きくこう書いてあった。

「バランス良く伸びる三育教育を実践
 体育×知育×徳育」

さらに、こう付記されていた。

・体育(からだ):丈夫な体づくりのために、
 外遊びをいっぱいします。

・知育(あたま):知識は遊びの中で楽しく身につけます。

・徳育(こころ):人とのコミュニケーションを通して
 思いやり、助け合いの心が育ちます。

これは、体技心の3側面から全人教育をするという事。
素晴らしい。

特に、徳育教育を掲げている点に注目した。

心の豊かさは、何よりも大事。
特に、他者を思いやる心は、幼い時から養う
必要がある。

他者を想う気持ちが、実は自分を心豊かな存在として
育てる事に繋がる。

他者とは、お友達だけではない。
両親や先生、身の周りの生き物、道具等全て。

「お天道様が見ている」

この言葉、今は死語となってしまった感がある。
しかし、改めて噛み締めたい思いがする。

常に自分の行いを自ら振り返り、慎んで行く。
この習慣を、幼い時から修養する。

幼児教育の大事さを、改めて感じた。

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2020年1月17日 (金)

パワーポイント活用UPセミナーに参加

私が講師登録している某社で、毎年何回か
学習会と称するセミナーを開催してくれている。

ある時は、最新情報の提供。
ある時は、スキルブラッシュアップ機会の提供。

個人事業主としては、とても有難い。
時間を作って、出来るだけ参加させて頂いている。

年明け最初の学習会が、「パワーポイント活用力UP」
のセミナーだった。

パワーポイントとは、マイクロソフト社製の
パソコンのプレゼンテーション作成ソフト。

最初のバージョンから使っているので、
使用歴は数十年になるだろう。

逆にそれが災いし、最新機能を活用せず、
効率的な資料作成や、スマートな操作が
滞っている可能性がある。

それらを確認するため、今回参加した。
4章の構成となっていた。
① 見やすい構成とデザイン
② 色彩のテクニック
③ スライド作成のワザ
④ 研修時の操作とトラブル対応

この中で、③と④が改めて参考になった。
・知ってはいたが、使っていなかった操作。
・新たに認識した操作

これらの技を駆使すると、スライド作成作業及び
研修時の操作が、より効率化する事が分かった。

パソコンを持参し、その場で操作して実感出来た
事もよかった。
これで、今後すぐに活用出来る。

定期的な振り返りは、やはり大事。
これからも、これまでに囚われず、既存の知識を
謙虚に見直して行きたい。

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2020年1月16日 (木)

玄徳と明徳

徳という言葉。
いろいろな方が、様々な表現で説いている。

辞書で調べると、以下のように示されていた。
・修養によって得られた、自らを高め他を感化する力
・精神的・道徳的に優れた品性・人格

中国古典では、徳を2面で捉えている。
それが、玄徳と明徳。

玄徳は、目には見えないが、内にあって
大きな働きをしている徳。
木で言うと、根に当たる部分。

明徳は、外に現れる徳。
木で言うと、幹や枝、葉・花・実に当たる部分。

玄徳の修養を説いたのが、老子。
明徳の感化を説いたのが、孔子。

玄徳と明徳は、まさに表裏一体の関係。
明徳の発現には、玄徳の蓄積が必要。
まずは、玄徳という根を養う必要がある。

孔子の弟子の曾氏が「大学」に、
「大学の道は明徳を明らかにするに在り」としたが、
決して玄徳を無視した訳ではない。
明徳を発揮しようとすれば、玄徳の滋養が大切。

孔子が玄徳を体得するのは、
「五十にして天命を知る」とあるように、50歳の段階。
学問を志したが、それだけでは天命を得なかった。
学知を超え、覚知が必要だった。

この事は、
「朝(あした)に道を聞かば、夕べに死すとも可なり」
の言葉にも表れている。
この道は、玄徳を指している。

玄徳を養い、明徳を実践する。
心して行きたい。

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2020年1月10日 (金)

「男の子のおりがみ」で支援

次女から、遂に孫の優真へのプレゼントを
遠慮して欲しい旨のお達しが出てしまった。

自分でテーマを設定させ、それを達成した時に
与える形を、この年末年始に試してみたが、
うまく行かなかった。

元旦に遊びに行った公園の歩道で、落ち枝を
自ら進んで拾う事をした。
散歩する方々の邪魔にならないようにと。

これは凄いと思って、所望してたティラノサウルスの
フィギュアをプレゼントした。

すると翌日、同じ公園の砂場で石を集め始めた。
小さい子達が怪我をしないようにと。

そして、言った言葉が振るっていた。
「いい事しているでしょ。何をプレゼントしてくれる。」

これには参った。
味を占めて、見返りを期待して来た。

知恵を付ける事はいい事だが、想いよりも
実利が先行すると、後々弊害が出て来る。

次女の言葉は、この点を捉えて発せられたもの。
おねだりすればもらえるという、短絡的な発想を
防ぎたい考え。

確かに、対価を得るためだけに行う事は、考えもの。
そこで、新たに取り組んだのが、折り紙。

先週自宅に来た時に、一緒に飛行機を折った。
まだ一人では折れないけれど、直線の所だけ
折らせるようにして、力を合わせて作った。

結構喜んでくれて、その後元気よく飛ばしていた。
これは、いいかも知れない。
自分で作って、結果を試す。

その後、書店で「男の子のおりがみ」を買って来た。
レパートリーを増やし、新たな成長の支援を
行って行きたい。

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2020年1月 7日 (火)

天心は人心、人心は天心

この年末年始は、陽明学の探求に明け暮れた。

今年行う研修の題材に使うという事情もあった。
しかし、それよりも、深く味読したいという
気持ちを、前々から持っていた。

自分の内面と照らし合わせながら読むには、
心のゆとりが必要。
やっと、その機会に恵まれた。

以前から、関係する図書を2冊持っていた。
今回は、さらに2冊を購入し、4冊を比較しながら
何回も読み通した。

著者が違うと、トーンも変わって来る。
その微妙な違いをヒントとしながら、自分なりの
解釈の仕方を考えて行く。

これが、何とも面白い。
自分との対話。
こう捉えて居たんだという自己発見にも繋がる。

ある1冊の中に書いてあった次の記述が、今回
特に印象に残った。

「人の心は人の心ではあっても、
 宇宙自然の創造の究極による天の心である。」
「人の心は、大宇宙、大自然につながっている。」

「天地と人を結ぶのは、ただ一つ心である。」
「心こそ、天地と人を結ぶのである。
 この心を極めて行けば、天地に結ばれて行く。」

何とも、深い言葉だ。

王陽明が、これを「致良知(ちりょうち)」と言った。

普段生活している中で、この境地に達する事が出来る。
そのためには、「事上磨錬(じじょうまれん)」が必要だと。

どこに居ても、その場で、自分を見つめ鍛えて行く。
心が、引き締まる思いがする。

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2020年1月 6日 (月)

寺子屋の先生として生きる道

フリーランサーとして生きる場合、社会との
関係で、いろいろな立場の選択肢がある。

売れっ子を目指す。(目立ちたい)
ビッグになる。(大物と言われたい)
稼ぎまくる。(お金持ちになりたい)

一方、このような選択肢もある。

人知れず、世のため人のために尽くしたい。

どの道を取るかは、その方の自由。
しかし、どの道を選んでも、それが自分のどのような
信念に基づのかは、自覚して置く必要がある。

でないと、失敗した時に、他責に陥る。

他責の場合は反省がないので、失敗を成功の種に
する事が出来ない。
悪くすると、自滅の道を歩む事に。

では、自分は、どの道を選ぶのか。

最澄の言葉に、以下がある。
「一隅を照らす、これ国宝なり」

目立たなくてもいい。
自分が今居る場で、最善を尽くす事が大事。
それが、結果的に、自他を幸せに導く。

自分の生きる道は、「寺子屋の先生」になる事かな
と考えている。
来る人に寄り添い、相談に対し広く助言を行う。

名刺の肩書きは、ビジネスメンターとしている。
しかし、心は寺子屋の先生。
肩肘張らず、本音で受講者の方々に接して行きたい。

自分のアイデンティティをどこまで確立出来るか。
仕事始めに、改めて自分の立位置を確認した。

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2020年1月 5日 (日)

リフォーム検討開始

年明け早々に、新聞に「住まいの大リフォーム博」なる
折り込みチラシが入って来た。

昨年暮れに、妻から和室6畳を洋室に替えたい
という話しがあり、DIYで自分なりに対応出来ないか
検討していた最中。

これは、情報収集するのに好都合。
すぐに妻と相談し、ネットで相談予約の上、
昨日出向いて来た。

相談に当たっては、現状を正確に伝える必要がある。
という事で、出掛ける前に、動画と写真を撮った。

動画は、リビングから撮り始め、隣の和室に至るまで。
今回の構想は、リビングと和室を一体化し、
一続きの洋室にすると言うもの。

写真は、畳を1枚剥がし、3方向から土台部分を撮影。
合わせて、畳の厚さ5cmも確認した。
これらを持参し、担当の方へ説明。

「写真は時々お持ちになられる方が
 いらっしゃいますが、動画は初めてです。
 感動致しました。」

現状をリアルに把握して頂いたので、その後の
相談が大変スムーズに進んだ。
その際、気づかなかった改善点を、数々教えて頂いた。

費用面では、養生や産廃費用が、かなり高額な事も。
つまり、改修はまとめて実施しないと、割損になる。

相談の結果、後日、自宅に来て頂いて実寸を計り、
見積もりを出して頂く事になった。
これが、ひとつの目安となるだろう。

多額の出費となるため、DIYの可能性も含め、
よく検討を重ねたいと思う。

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2020年1月 4日 (土)

気づきと誘導

研修講師の仕事をする中で、自分で微妙だなと
思う事がある。
それが、「気づき」と「誘導」。

講師の仕事は、単に知識を与える事ではない。
さらに重要なのが、気づきを促す事。

「なるほど、そう言う事か。」

これがあって、初めて行動に移す事が出来る。
行動が伴わなければ、知識を得ても意味がない。

しかし、気づきを促すつもりが、いつの間にか
誘導しているのではないかと自問自答する事がある。

この差、まさに紙一重というのが実感。
どこで、この違いが出て来るのだろうか。

気づきは、相手に主体が置かれている。
相手が主で、こちらは従。
相手が考えるきっかけを作って行く。

誘導は、こちらに主体がある。
こちらが主で、相手が従。
こちらの考えを導入して行く。

自律した人材を育成する観点から捉えると、
健全な気づきを促す事こそが大事。
誘導は、論理の押し付けと化す事がある。

注意しなければならない事は、自分も相手も
意識がない中で、誘導に入ってしまう事。
まさに、巧みな誘導尋問の世界。

この谷間に落ちないためには、何が必要か。

講師が、常に自分を律する事を欠かさない事だろう。
研修の場が、実は自分の修練の場なのだと思う。

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2020年1月 3日 (金)

同情と同感と同志

マネジメント研修を行っている最中に、
講師である自分が、はたと気づく事がある。

最近気づいたのが、「心の深さ」。
コーチングの話しをしている時に、閃いた。

『心の距離』の例として、同情・共感・無視の
説明を、よく行う。

心の距離が、それぞれ、ゼロ、適度、無限大。
算式だと、同情<共感<無視。

「同情」は、心の距離がゼロとなるため、
相手の感情に飲み込まれてしまう可能性がある。
要注意である。

これらを「心の距離」を横軸とした関係とすれば、
縦軸はどう考えればいいのだろうか。

『心の深さ』はどうか。

同情の「情」に流される領域を通り越して、
自分の信念に照らし、感じ入った場合は?

「同感」と言う言葉が、頭に浮かんだ。
これは、同情とも共感とも違う。

さらに、深く心が響き合った場合は?

「同志」と言う言葉が、頭に浮かんだ。
算式だと、同情<同感<同志。

同志は、信念に基づき、お互いに感化し合い、
共に成長する。
このような関係になる事が出来れば、素晴らしい。

同感し、同志として行動を一に出来る隣人を、
増やしたいものだ。

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2020年1月 2日 (木)

人が抱く心的エネルギーの源を探る

人が行動する際は、エネルギーが必要となる。

身体的には、糖や脂肪を分解してエネルギーを
発生させ、体を動かす。

しかし、その前に、行動するという動機が必要。
スイッチが入らなければ、動き出す事もない。

人を動機づけるために必要なのが、心的エネルギー。
この心的エネルギーを、どこから得るのか。

これは、人によって様々。
怒り・賞賛、音楽・絵画、風景・息吹等。
どれにしても、五感で感じ取る何か。

しかし、その感じる世界の広がりが違う。

怒り・賞賛は、人との関係。
音楽・絵画は、芸術との関係
風景・息吹は、自然との関係。

どのきっかけであっても、優劣はない。
それが健全なものである限り、本人にとっては貴重。
なぜなら、行動しない限り、何も得る事が出来ないから。

一方、スケールの大きな自分を育てる観点から見れば、
差が出て来る。

人との関係で、一喜一憂するのか。
芸術と出会わなければ、心を動かせないのか。

しかし、自然は、常に自分たちの身の回りにある。
例えば、公園の木々、小鳥のさえずり、雲の動き等。

僅かな事かも知れないけれど、これらを感じる事が
出来れば、心が癒され、生かされている喜びを実感する。

命に感謝し、勇気ある行動を実践して行きたいものだ。

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2020年1月 1日 (水)

降り注ぐ愛の姿とは

孫が4歳を超え、ますます知恵がついて来た。
この中で最近、今後の接し方を考えている。

これまでは、欲するものを全て与えて来た。
興味や関心または知識を広げるため。

これはこれで、効果を発揮して来た。
今や、好奇心の塊と化している。

しかし、与えられる事を当たり前と思う
傾向が出て来た。
「ありがとう」の言葉は返って来るが、条件反射的。

「努力すると報われる」と言う自覚も必要。
自宅では、お手伝いしたご褒美にという形で、
好きなお菓子を与えるという事を始めたそう。

しかし、このさじ加減が難しい。
物事を、ギブ&テイクのみで考える思考に
入ってしまう恐れがある。

大事なのは、ギブ&ギブンの捉え方。
与えよ、さらば与えられん。
与えられる事を期待せずに、与える。

これは、かなり高度な捉え方。
しかし、2項対立ではなく、1元的に捉える思考が、
最後には自分を支えてくれる。

テーマを与えず、自分で行うべき事を考えさせ、
それを達成した時に、結果として欲する物を手に
する事が出来るようにすればどうかと考えている。

4歳児に、どこまで出来るかは分からない。
しかし、試してみる価値はあるかも。

自ら課した試練を乗り越える喜び、それをぜひ
体感して欲しい。

そのためには、こちらがまず、その姿を
体現する事が必要。

孫と共に、成長して行きたい。

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