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2020年1月 7日 (火)

天心は人心、人心は天心

この年末年始は、陽明学の探求に明け暮れた。

今年行う研修の題材に使うという事情もあった。
しかし、それよりも、深く味読したいという
気持ちを、前々から持っていた。

自分の内面と照らし合わせながら読むには、
心のゆとりが必要。
やっと、その機会に恵まれた。

以前から、関係する図書を2冊持っていた。
今回は、さらに2冊を購入し、4冊を比較しながら
何回も読み通した。

著者が違うと、トーンも変わって来る。
その微妙な違いをヒントとしながら、自分なりの
解釈の仕方を考えて行く。

これが、何とも面白い。
自分との対話。
こう捉えて居たんだという自己発見にも繋がる。

ある1冊の中に書いてあった次の記述が、今回
特に印象に残った。

「人の心は人の心ではあっても、
 宇宙自然の創造の究極による天の心である。」
「人の心は、大宇宙、大自然につながっている。」

「天地と人を結ぶのは、ただ一つ心である。」
「心こそ、天地と人を結ぶのである。
 この心を極めて行けば、天地に結ばれて行く。」

何とも、深い言葉だ。

王陽明が、これを「致良知(ちりょうち)」と言った。

普段生活している中で、この境地に達する事が出来る。
そのためには、「事上磨錬(じじょうまれん)」が必要だと。

どこに居ても、その場で、自分を見つめ鍛えて行く。
心が、引き締まる思いがする。

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