知識を得る危うさ
田坂広志氏のメルマガで、「魚の解剖実験」という
タイトルの記事が送られて来た。
以下、その要約。
子供の頃、行った魚の解剖実験。
生きた魚を解剖し、体の仕組みを探る。
確かに、解剖し分析した結果、「知識」は得られた。
だが、魚の瑞々しい「生命」は、失われてしまった。
一抹の寂しさを感じる一瞬。
しかし、日々の仕事でも、同じ事が行われている。
「論理思考による分析」と言うメス。
それもまた、「知識」を得るための便利な道具では
あるが、同時に「生命」を見失う危うさを持っている。
そのとおりだと思う。
この世で、人間が知り得る範囲は、たかが知れている。
科学が進んでも、1個の細胞すら生み出す事が出来ない。
この事実は、謙虚に受け止める必要がある。
忘れてはいけない事が、「生命」への畏敬。
生きとし生きるものを大切に思う心がないと、
いつか我が身を滅ぼす事に。
確かに、生きていく上で、論理思考は大事。
しかし、それで全てを解決出来る訳ではない。
論理では計り知れない未知の世界が
我々の周りには、果てしなく広がっている。
この世界を感じ取る敬虔な能力も同時に、
我々には求められている。
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