自分道を歩むとは
「道」を極めるという事を、よく聞く。
現在読んでいる『生き方の教科書』でも、
多くの著名人が、「道」に言及している。
自分で定めた道を、ひたすら求める中で、
能力を高め、目指す目標を達成する。
それはそれで、意味深い事。
一方、道は限りなく続くものと言う捉え方も出来る。
誰もが、最初から目指す目標が見えている訳ではない。
試行錯誤しながら、精一杯生きている姿が現実か。
あちらにぶつかり、こちらにぶつかり。
その度に、軌道修正をして行く。
言志四録に、以下の言葉がある。
「一燈を提(さ)げて暗夜を行く」
暗中模索の中、頼りになるのは、掲げた灯りのみ。
しかし、この灯りが大事。
希望の光と言ってもいいだろう。
この光は、自分の心の火が灯すもの。
かすかな光かも知れないが、この光の照らす先を
信じて、歩み続ける事が大事な気がする。
まさに、一燈が「道」に通じる。
歩む過程において、道から外れたものは、
自然と捨てる事になる。
これは、いい意味での消去法。
ゴールは、初めから見えているものではない。
道を歩む過程で、次第に見えて来るものだろう。
いや、最期まで見えないかも知れない。
しかし、それでも、いいのではないだろうか。
人生を全うする事が大事。
ゴールに辿り着く事自体が、目的ではない。
「道」は、生死を問わず、永遠に続いていくもの。
自分に代わり命を引き継ぐ次の自分が、改めて道を歩む。
これが、「自分道」の究極の姿。
まさに、宇宙の真理に通じる。
その営みは、人智を超えている。
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