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2023年11月 8日 (水)

「実語教」を再読した

この度、「実語教」を再読した。
前回読んだ時期は、2013年2月だったので、何と10年ぶりと言う事になる。

「実語教」は、平安時代末期に書かれた書。
空海の作と言う説もあるが、真否は不明。

鎌倉時代に広まり、江戸時代では寺子屋の教科書となり、
日本人の精神的支柱の形成に大きく貢献した。

なぜ再読したのか。
それは、いつか孫たちと共に素読をしたいと思ったから。

初孫の優真が2015年に生まれたので、改めて読み直し、
孫たちへの内容の説明の仕方を検討したいと思ったのだ。

そのため、今回は、齋藤孝氏の著した「子どもと声に出して読みたい実語教
日本人千年の教科書」を購入し、読みながら子供向けの説明方法を研究した。

実は、「論語」の教えが、実語教には数多く入っている。
そして、その実語教の言葉が、福沢諭吉の「学問のすすめ」にも引用されている。

この事実からも、実語教の位置づけが、昔の日本の市中で
如何に大事なものだったかが推察出来る。

福沢諭吉が引用した代表的に言葉として、以下が知られている。

「玉磨かざれば光無し。
光無きをば石瓦(いしかわら)とす。
人学ばざれば智無し。
智無きを愚人とす。」

人は、生涯学び続け、智恵を身に付ける事が大事と言う主旨。

それ以外にも、両親・先生・目上の人への礼儀、兄弟・友達・後輩との
付き合い方等、人が人間社会で生きて行く中で、欠かせない大事な要素が、
例えを交えて分かり易く説かれている。

混乱を極める今の日本。
軸足が定まらず、外交を取ってみても、何か頼りない。

この時期だからこそ、我々は再度、日本精神の原点に立ち戻る
べきではないだろうか。

この事を、孫たちに伝えて行きたい。

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