「諦観」で臨む
2/26(月)、私の69歳の誕生日に配信された致知出版社の人間力メルマガで、
「諦観」について記された記事があった。
その記事を読みつつ、改めて広辞苑で「諦観」の意味を調べてみた。
諦観を(ていかん)と読む場合、①入念に見る事、諦視、②あきらめる事
諦観を(たいかん)と読む場合、①明らかに真理を観察する事
よく似た言葉で、「達観(たっかん)」があるが、こちらも調べてみた。
①一部に拘泥せず全体を観察し、真理・道理を見極める事、何事にも動じない
心境に到る事、②全体を見通す事、広く見渡す事、大観
なるほど、いろいろな解釈がある事が分かった。
その記事は、故城山三郎氏が、「創業の精神」について話しされた内容だった。
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いろいろな創業者にお会いして、その人生観の根本に感じる
共通項のようなものがあります。
人生を賭けているという感じ。そういう気配を、皆さん、備えている。
これは裏を返せば、最後はどうなってもいいや、という一種の諦観ですね。
深いところから出てくる諦観は、人間はもともとゼロなのだという強さに
裏づけられた前向きのものなのです。
創業者の多くはそういうものを備え、己が起こした業に人生を賭けている。
最後はどうなってもいいという諦観に立って己の人生を賭けられる人は、
強いだけでなく、人間として卑しさがないし、清々しいですよ。
創業者の人生は起こした会社を軌道に乗せ、大きくすることだけを
考えていれば、卑しくなくきれいなものになるんです。
ところが、余計なことを考えるから卑しくなる。
蓄えた財産をどう保全しようかとか、息子に事業を譲りたいとか。
スポーツ用品メーカーのMIZUNOは、漢字では美津野と書きます。
だが、創業者の姓は単純に水野なんです。
社名は水野でもよかったが、そうすると会社は水野家のものになってしまう。
だから創業者の息子が入社しても、他の社員と差別しない。
では、後継者はどうするか。等しく社員にその資格ありという考えです。
そのためには社員に勉強をさせなければならない。だから、本を読めと命じる。
社業に全てを賭け、会社を大きくする事だけを考えているから出来るんですね。
MIZUNOが現在あるのは、その精神の表れと言えるでしょう。
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ぜひ、「諦観」または「達観」の境地で、仕事に励みたいものだ。
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