「知らない」ことを知っているとは
放送大学の新学期が4月から始まる前に、届いたテキストを予習している。
予習している科目は、「力と運動の物理」。
これまでに、「初歩からの物理」と「物理の世界」は履修済み。
その上、マセマ出版の大学物理シリーズも、7冊読み込んで来た。
このように、大学物理の基礎は固めたつもりだった。
しかし、「力と運動の物理」には、全く歯が立たない。
大学専門課程(大学3·4年)レベルとは理解しているが、格段に難しい。
出て来る物理用語や独特の言い回しも難解、ましてや、方程式は理解不能。
大変な世界に足を踏み入れてしまった。
入学する前は、「知らない」ことを知らなかった。
今は、「知らない」ことを痛切に知っている。
まさに、知らない事だらけ。
暮らす分には、このような物理の知識は、はっきり言って不要だ。
しかし、物事の真理を探求しようとしたら、途端にハードルが高くなる。
このまま勉学を続けて行くと、いつか「知っている」ことを知らないと言う
世界に、自然と入って行けるのだろうか。
だが、この状態でも、少し考えれば、また分からなくなってしまうと思う。
真理の追及とは、つまり、この2つの世界を交互に行ったり来たりする事
なのかも知れない。
その上の、「知っている」ことを知っている完全無欠の世界は、
訪れようがないと言う感じ。
大学物理の勉強を止める事は、いとも簡単。
しかし、大変だけれども、先人が築いて来た知見の集積を紐解いて行く
過程は、とてもわくわくする。
まるで、推理小説を読んでいるような面白さがある。
一方、物理の世界は、推理小説と違い、リアルな世界の出来事。
紐解く事が、そのまま、自分の存在を確認する事にも通じる。
正直言って、時々、勉強がいやになる。
その時は、ジムに行ったり散歩をして気を晴らしている。
大学物理を、どこまで極める事が出来るのか。
全く先が見えないけれども、とにかく歩み続けたいと思う。
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