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2025年2月28日 (金)

熱中!「宇宙戦艦ヤマト」総力特集

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先週、誕生日前ではあったが、長女の旦那様からプレゼントを頂いた。
それが、ホビージャパンから出版された
「HJメカニクス22特集∶宇宙戦艦ヤマト2199-3199 HOBBY JAPAN MOOK」(128P)。

シネマの宇宙戦艦ヤマトは、これまでリブート版として、
「宇宙戦艦ヤマト2199」「宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち」
「宇宙戦艦ヤマト2205 新たなる旅立ち」と上映されて来ている。

そして、2024年7/19(金)より最新作「ヤマトよ永遠に REBEL3199」が
上映開始となり、現在、第2編までが上映済み。

今回の特集では、これら4作品に登場する戦艦やメカニックにスポットを当て、
発売されたプラモデルを中心に、プロモデラーによる自作モデルも加え、
立体作例で解説してくれている。

宇宙戦艦ヤマトのプラモデルファンにとっては、まさに垂涎(すいぜん)の的。
しかし、お値段が少々張るので、購入するか迷っていた。
そのタイミングでのプレゼントだったので、とても嬉しかった。

ちょうど、購入したばかりのプラモデル2202(通常版)、2205、3199を
順番に作ろうとしている段階だったので、塗装やデカールの種類・貼付位置等を
確認するのに、とても役立った。

各シリーズの宇宙戦艦ヤマトを単に作るだけではなく、シネマのストーリーに
沿って、どのような改造が船体や武器等に加えられて来たのかを、
改めて知る事が出来た。

時には強力な敵と戦うための武器の増強、時には戦い後の装備の軽減、
時には戦勝記念塗装等。
宇宙戦艦ヤマトの改造の推移そのものが、歴史を表している。

その間に繰り広げられる人間ドラマも、注目に値する。

1974年からの原作に比較して、今回のリブート版は、
より内容に深みが増したように思う。
最早、子供向けのアニメと言うよりも、宇宙が大好きな中高年向けの、
壮大な恒星間物語と言う感じだ。

4/11(金)から、REBEL3199の第3編の上映が始まる。
この後、どのような展開を見せるのか、とても楽しみ。

これからの物語に想いを馳せながら、プラモデル製作を進めて行きたい。

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2025年2月25日 (火)

古希のお祝いが身に染みた

昨日、古希(70歳)のお祝いを、娘夫婦や孫たちに祝ってもらった。
参集したのは、長女夫婦と叶、次女夫婦と優真、直輝、私と妻の総勢9名。
場所は、さいたま新都心のシュラスコが売りのアレグリアというお店。

シュラスコとは、ブラジルの肉料理の一種。
アレグリアでは、そのシュラスコが20種類(牛、豚、鶏、焼き野菜)もあった。
2時間食べ放題のコースだったので、まずは挨拶もそこそこに、
皆で肉に噛り付いた。

約1時間が過ぎて落ち着いて来た頃、お店で用意して頂いた
小ぶりの可愛いバースデーケーキが運ばれて来た。

記念写真を撮った後、皆からいろいろなプレゼントを頂いた。

まずは、高機能な室内着を兼ねたリカバリーウェア(寝間着)。
繊維が細いため、とても軽くて温かそう。
遠赤外線効果により血行が促進され、疲労回復、筋肉にコリ軽減に繋がると
説明書に記載されていた。
これは、テコンドーで疲れた体には最適だ。

そして、極め付きが、孫たちが描いた私の似顔絵を
表面に印刷した陶器製のカップ。
これは、一生の思い出に残るだろう。

だが、最も嬉しかったのは、皆の気持ちだった。
その中でも、孫たちの「じいじ、好き」という言葉に、じわっと来た。
叶は、それをハートマークにして、先程の似顔絵の横に
4つも添えてくれていた。

私からも、孫たちにプレゼントを手渡した。
それが、小3の優真には1000倍、4歳の叶と直輝には500倍の
手で持てる電子顕微鏡。

さっそく箱から取り出して、自分の手の甲やテーブルを観察していた。
4歳の2人には早いかなと思ったが、杞憂だった。
それなりに楽しんでいる姿を見て、子供の頭の柔軟性に感心してしまった。

レストランを出た後、全員が我が家にやって来た。
そこで、長女と叶が作ったミニケーキと次女が作ったパンを、
改めて受け取った。
もっとも、お腹が一杯で、明日頂く事にしたが。

皆と共に過ごす時間が、私にとっては一番の喜び。
元気を維持して、これからの孫たちの成長を見届けたい。

そして、これからも、お互いに助け合い、
支え合って生きて行きたいと思う。

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2025年2月20日 (木)

生涯の献血活動が終了!

先日、生涯で最後の献血に行って来た。

献血は、70歳未満となっている。
私は、今月26日で満70歳となるため、これが最後の機会となった。

思えば、大学生だった20歳から献血を始めた。
と言う事は、50年間、献血活動をして来た事になる。
私なりの、ささやかな社会貢献活動。

まだ元気なので、70歳以降も続けたい意思は持っているが、
ルールならば仕方がない。

最後に伺った先は、いつもの「大宮献血ルームウエスト」。
今回、献血を担当して頂いた看護師さんはOさん。
空手の清水希容さんに似た、きりっとした顔立ちの方だった。

「今回が最後の献血なので、倍の800ml採って頂いて結構ですよ。」
「ありがとうございます。でも400mlでお願いします。」

この後もOさんとお話しする中で、かつて空手をなさっていた事が分かった。
どおりで、目元が引き締まっていた訳だ。

「いつも、キツネ目と言われて、怖いと言われて来ました。」
「とんでもない、とても素敵です。」

「実は、私も今、テコンドーをしています。」
「ええ、本当ですか!」

このように、採血している最中、いろいろと話に花が咲いた。
そのため、あっと言う間に時間が過ぎた。

「血流が、凄くいいですね。もうすぐ終わります。」
「もっと、お話がしたかったです。」

最後まで冗談を言いつつ、無事、最後の献血が終了した。

「永い間、ご協力を頂き、誠にありがとうございました。」
「とんでもない。また別の形で、皆さんのお役に立ちたいと思います。」

採血後、20分間の安静が必要と言う事で、ロビーでしばしの休憩。

このソファでゆったりと過ごすのもこれで最後かと思うと、
何かほっとしたような、寂しいような感覚になった。

また、次のステージで、私に出来る事を探して行きたいと思う。

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2025年2月19日 (水)

見ごたえのあった第36回全日本テコンドー選手権大会

2/15(土)16(日)に、第36回全日本テコンドー選手権大会が代々木第2競技場で
開催された。
テコンドーの正式な大会を観るのは、今回が初めて経験だった。
そのため、ワクワクしながら会場へ向かった。

15(土)は、15:00の開会式から17:30までトゥル(型)の観戦をさせて頂いた。
16(日)は、12:00からの少年演武/師範演武から15:30までマッソギ(組手)を観戦。

武道の大会ではあったが、会場には開放的で自由な雰囲気が漂っていた。
一方、競技に入ると、テコンの挨拶と共に、きりっとした空気に包まれる。
この切り替えが、とても印象的だった。

2日間通して、自分なりに、以下を改めて学んだ。
<トゥル(型)>
・「呼吸」と、それに合わせた動作の「緩急のつけ方」。
※ 切れのいい型は、観ていてスカッとする。

<マッソギ(組手)>
・「ステップ」による、効果的な位置取り。
※ 技の切れも大事だけれども、よけたり、突き蹴りに位置取りが必須。
※ フェイントも含めと、頭脳プレイをかなり求められる。

運営面でも、感心した事があった。
① パンフレットの構成
・テコンドー初見の方に対し、ルールが分かり易く解説されていた。
・トーナメント表に出場選手の写真と共にゼッケン番号が記載されていた。
(選手道衣の後下に貼付された番号と照合すると、誰が闘っているかすぐ分かる。)
② 時間通りの進行
・ スケジュール通りに、正確に進行していた。
(大きな大会だが、遅れなく進行するのは事前の準備が行き届いている証拠。)

上記以外でも、コートで今、どの競技が行われているかを、
その度ごとに日めくりのように紙ベースで表示されており、とても助かった。
このような配慮を見ても、協会の運営姿勢の心優しさが伝わって来る。

そして、パンフレット冒頭に記載されていた日本国際テコンドー協会
師聖 黄進(ファン・ジン)氏の挨拶にも、痛く同感した。

【挨拶(抜粋)】
日本にテコンドーの種が蒔かれて42年、世の中は当たり前のように変化していきました。
歳月を経て改めて感じることは、「変化に対応すべく心身を鍛錬すること」が重要だということです。
そこから他者に対する礼儀や優しさ、誠実さ、そして理性が養われ、「人としての品位」が備わるのだと思います。

武道であるテコンドーの修練意義も同様で、『テコンドー精神』はそこに繋がっています。
テコンドーでは、日々の稽古を通して技術とパワーを身につけるだけではなく、「健康的な心と身体」を養いながら『テコンドー精神』を学んでいきます。
稽古生の皆さんには日々の練習の中で、技術やフィジカルだけでなく「精神鍛練」も同時に励んでほしいと思います。

以上、心して行きたいと思った。

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2025年2月16日 (日)

人を遺すは上

月刊「致知」3月号に、ある医師の方々の対談が掲載されていた。
その方とは、富山大学附属病院「膵臓·胆道センター」センター長の藤井努氏と、
副センター長の安田一朗氏。

当センターは、お二人により立ち上げられた膵臓がんを主に治療する組織。

膵臓がんは、がんの中でも最もたちが悪く、検出した時は手遅れの事が多い。
多くの方がステージⅣで、5年生存率は男女共に1.8%(2020年)と著しく低い。

ところが、先生方の努力により、切除可能な膵臓がん患者の5年生存率を
約40%に引き上げる事が出来たとの事。
また、他院で切除不能と診断されたがんについても、約30%を抗がん剤や
放射線で小さく切除可能とし、2022年に5年生存率が58・6%に達した模様。

これは、凄い事だ。

私も、人間ドックで、膵臓がんの疑いありとされ、覚悟を決めた事がある。
結果的には、他院で受けたMRIで全く正常である事が分かったが。
だから、膵臓がんの恐ろしさは、身に染みて理解している。

そのお二人が、定年を数年後に迎え、一番力を入れているのが後進の育成。

藤井氏は、富山に来た時、ある方にこう言われたとの事。
「藤井君、教授っていうのは、医局員のスリッパを揃える仕事だぞ。」

トップが誰かの揃えたスリッパを履いているようじゃいけない。
患者さんと同じくらい医局員を大事にし、働く環境を整えることを考えろと。
これは、医療の質にも繋がる大事な観点だ。

明治・大正期に活躍した政治家で、医師でもあった後藤新平が
「財を遺のこすは下、仕事を遺すは中、人を遺すは上」と言ったとの事。

これは、一般の我々も、心しなければならない言葉だろう。

安田氏、曰く、
「35年の医師人生を振り返ると、思うようにならないことが一杯ありました。」
「それでも、患者さんに自分ができる最大・最善を尽くす中で、
不思議と新しい道が開けてきたことをいま深く実感しています。」

藤井氏、曰く、
「医療の世界では、全力を尽くしてもうまくいかないことがあります。」
「だけど、私たちが大事にすべきは病気を治すことはもちろん、患者さんに
とことん寄り添う、一緒になって病気に立ち向かうことだと思うんです。」
「富山の先生が治療してダメだったら仕方ないなと思ってい頂ける位の医療を
提供することだと、私は思いますね。」

この膵臓·胆道センターを、ぜひとも存続させて頂きたいと心から願う。

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2025年2月15日 (土)

小学生の案内でプラザイーストへ

昨日、製本のために、久しぶりに桜区にある
さいたま市の施設「プラザウエスト」を訪ねた。
ここは、桜区役所とホール・体育館・プール等の複合施設だ。

2005年50歳の時に独立して以来、一括りの資料等がまとまった時点で、
プラザウエストのワークスペースにお伺いし、製本機をお借りして
製本をして来た。

一件資料を製本して保管する方法は、35歳の時、在職中の上司から教わった。
最初は半信半疑だったが、行ってみると資料の整理整頓に、
非常に効果的である事が分かった。

それ以降、今日まで35年間、製本し続けて来た。
今回も、その一環として伺ったのだが、何と製本機が故障していた。
係りの方にお伺いすると、復旧の見込みが立っていないとの事。

これは困った事になった。
やむを得ず、一旦、自宅に戻った。

帰宅後、ネットで調べたら、緑区にある「プラザイースト」に、
旧式だが同じメーカーの製本機がある事が分かった。

自宅から結構遠い所にある施設だったが、背に腹は代えられない。
再び、自転車で向かった。

しかし、初めての場所だったので、スマホのナビに頼ったが、
これが間違いだった。

指示された「最短コース」を進んだが、複雑な経路で迷いに迷った。
最後には、帰宅中の小学生に訊く事に。

すると、何と男の子2人が、プラザイーストまで案内してくれるとの事。
これには感謝感激。本当に助かった。
尋ねたら、地元の中尾小学校の生徒たちだった。

別れ際に、お礼をしっかりと述べた上で、
握手を固く交わして来た。
実に、頼もしい限り。

お陰で、無事、製本をする事が出来た。
大変な1日だったが、同時に思い出に残る、とてもいい日となった。

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2025年2月14日 (金)

放送大学単位認定試験の結果が出た!

手強かった今期の放送大学2科目の単位認定試験結果を、
昨日、ネット上で確認する事が出来た

その2科目とは、「力と運動に物理(力学)」と
「場と時間空間の物理(電磁気学)」。

力学に関しては前期の試験をパスして、満を持して今期受験した。

結果は、2科目とも、無事合格する事が出来た。
その上、両科目とも、これまでと同じく、
A評価の上の○A評価(100点or1つだけ不正解)だった。

諦めずに勉強した甲斐があった。

しかし、点数は取れたが、実力とは程遠い。
これらは、過去の単位認定試験の傾向と対策の結果だ。

なので、全く喜べない。
これから、改めて勉強し直したいと思っている。

一方、これで、この3年間の15科目を、
全て○A評価とする事が出来た。

こうなると、来期に受講する「量子物理学」に、
ストレスが掛かって来る。

実は、既にマセマ出版社の参考書を使って予習を始めているが、
理解には程遠い状態。
大学数学のオンパレードで、物理の勉強か数学の勉強か分からない程。

まさに、学べば学ぶほど、右も左も分からない事だらけ。

これらは、興味が尽きる事なく非常に面白いが、
片方では「これだけやって、なぜ理解出来ないのだろう」と
落胆する事も度々ある。

まあ、これからは頭の体操プラスα程度に受け止め、
根を詰め過ぎないように留意したいと思う。

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2025年2月12日 (水)

優真くん1人で我が家へ

2/9(日)に、孫である優真(小3)くんが、初めて1人で我が家へやって来た。

妻の妹夫婦が久しぶりに来訪し、たくさんのお土産を持って来てくれた。
その内の、優真くん宅分を受け取るためだ。

途中の駅まで、ママと弟の直輝くんと共に電車で来た模様。
その後は、1人旅。
4つ目の駅で降りるとの事で、必死で1つ目2つ目と数えたとの事だった。

最寄り駅には、私が迎えに行った。
まだ、我が家までの道のりを覚えていないだろうと思ったから。

改札を出て来る顔が、ややこわばっていた。
乗り越してはいけないと、通過駅の数を数えると共に、
外の風景をずうと見て、どこを走っているか確認していた様子。

しかし、いつも下を向いてゲームをしていたため、
外を見てもどこだか分からなかったと、正直に話してくれた。

「駅の数が多くなったら、数え切れなくなるよ。」
「降りる駅と、その1つ前の駅の名前を覚えておいて、
車内や駅の表示で、どこまで来たか確認するといいと思うよ。」

優真くん、この助言に軽く頷いてくれた。

我が家に着いて、まずは妹夫婦にご挨拶。
その後は、すぐにゲーム開始。
51インチのテレビ画面に接続して、オンラインゲームを再開。

その途中、妹夫婦のリクエストに応え、テコンドーの型を披露。
皆から、「複雑な型をよく覚えているね」と感心されていた。

帰りは、我が家の最寄り駅まで送って行った。
道を覚えてくれると、次回は1人でも歩いて来れる。

「このルートが、一番分かり易いと思うよ。」と伝えると、
目印になる周りの建物等を確認していた。

優真くんは、この4月から4年生になる。
クラブ活動が始まるので、高学年の生徒との関係も深くなる。
それと同時に、学校以外での活動も増えて来るだろう。

そのため、1人で行動する際の留意点等を、知っておく必要がある。
今回の経験が、少しでも役立てば幸いだ。

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2025年2月11日 (火)

壁を突破する

これまで、幾多の試練を受けて来た。
入試や各種資格試験、勤めていた会社からの独立等。

振り返った時、これらの壁を突破するには、3つの条件があったように思う。
①退路を断つ、②根拠なき自信、③耐える

別の言い方をすれば、どれだけ強い意志を持てるかだろう。
一方、これだけはと念ずれば、①②③は必然的に出て来る内容にも思う。

逆に見ると、突破を回避した壁は、自分にとって重要でなかったとも言える。
我田引水的な見方だが、キャリア開発では、思考の柔軟性・楽観性も大事。

これまでの最大の試練は、やはり独立だった。
50歳の時、経営コンサルタント/研修講師/キャリアカウンセラーとして独立。
まさに、退路を断った感じ。

しかし、根拠はなかったが、何とかなると言う自信だけはあった。
でも、各種の資格取得や自分でこれだけはと言う準備は怠りなく行った。

独立して5年間は、耐える期間だった。
易経で表現すると、潜龍の時代。
そして、その後、飛竜の時がやって来た。

その私も、今月で満70歳となる。
次第に、亢龍に近づいて来た。
しかし、これは仕事面での話し。

人間力を高めるチャレンジは、今も続いている。
心∶イタリアオペラ、技∶放送大学(宇宙科学)、体∶テコンドー

どれも奥が深くて、果てがない。
これらを通し人間力を高め、今後は「パーソナルメンター」活動に移行したい。

今までは、ビジネスマンが支援の対象だった。
力を入れていた企業対象の研修講師の仕事がフェードアウトする中、
今後は、縁があって出会った一般の方々の支援に励みたい。
それが、私なりのパーソナルメンターの位置づけ。

メンターとは「夢の実現を目指し、共に歩む心からの支援者」と定義している。

・退路を断つから、「未来へつなげる」へ
・根拠なき自信から、「根拠ある希望」へ
・耐えるから、「楽しむ」へ

『壁』は、実は天賦の乗り越えて行く『ハードル』だったのかも知れない。

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2025年2月10日 (月)

叶くんの生活発表会

先日、長女の長男である叶(4歳)くんの、園での生活発表会(学芸会)があった。

今年はお歌はなく演劇のみだったが、場面の切り替えやセリフが多く、
幼児としては、かなり難易度が高い内容だったと思う。

演題は、「にじいろのさかな」。
元のお話しは、スイスの絵本作家 マーカス·フィスター氏によって
描かれた絵本に基づくもの。

しかし、子供たちのアイデアを取り入れ、絵本に載っていない
海の生き物を登場させたりして、物語を若干アレンジしたとの事。
衣装や道具も、子供たちの手作り。

これは、素晴らしい取り組みだ。
情操教育だけではなく、創意工夫や他者との協調性も養われる。
この保育園の評価が高い理由が、改めてよく分かった。

叶くんは、"ともだちさかな"の役だった。

少し恥ずかしそうに演技していた。
でも、昨年と比べたら、笑顔を見せながらのびのびと動いていた。
実に微笑ましい限り。

お友達の中には、叶くんも含め、セリフが出て来ない子も居た。
しかし、その時には、隣に居る子が耳打ちして教えて上げていた。
お互いにサポートしながら、演技を進めて行く姿に見入ってしまった。

そのため、先生方が、途中で支援のために舞台に上がる事がなかった。
最後の園長先生の説明では、これが一つの目標だったようだ。
先生の助けを受ける事なく、園児だけで完結させる事。

4歳児にしては、かなり高いハードルだったと思う。
でも、皆で協力し、最後までやり遂げた。
これは、園児たちの、今後の自信に繋がるだろう。

生活発表会が終わり、園庭で叶くんが出て来るのを待っていた。
姿が見えたので、「叶くん、頑張ったね」と声を掛けたが、
まだ顔がこわばっていた。

よほど、緊張したのかもしれない。

その後、じいじに見せたいものがあるとの事で、ヨドバシカメラへ立ち寄った。
何と、おもちゃ売り場で、ティラノサウルスの大型フィギュアを指さしていた。
「かな、お小遣いたくさん持っているよ。」
「では、給食で、野菜を全部食べたら、誕生日に足りない分を出して上げる。」

やっと笑顔が戻って来た。

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2025年2月 6日 (木)

直輝くんの発表会

先月、次女の次男である直輝(4歳)の発表会があった。
直輝くんは、保育園の「みかん組」(年少)に属している。

本番の前週に体調を崩し、ほぼ1週間休んでしまった。
なので、大丈夫かなと心配したけれど、それは無用だった。

演技は、みかん組全員によるお歌から始まった。
後段の一番端に立って居たが、1人だけスイングしながら、
大きな声で元気よく歌う姿に、思わず見入ってしまった。

そして、メインイベントの劇は「てぶくろ」だった。
「てぶくろ」は、ウクライナ民話をもとにしたお話。

落とし物の片方の手袋に、動物たちが次々とにやって来て
温かい手袋の中に入り込むと言う、まさに心温まる物語。

まず、ねずみ、かえる、うさぎ、きつね、おおかみが来て、
その上、いのしし、くままでが入り込む。
満杯になったところで、落としたお爺さんが戻って来る。

直輝くんは、「いのしし」役で登場した。
ここでも、大きな手振り身振りと共に、よく声が出ていた。

衆人環視の中、舞台上で尻込みする事なく演技出来るとは、
大人でも緊張する場面だと思うが、大したものだ。
とても度胸があるのだなと、感心してしまった。

後で次女から聞いたのだが、練習中も大きな声で歌って、
先生たちを驚かせていたとの事。
そう言えば、以前から、よく歌を口ずさんでいた。

歌が好きな事は、心にとっても体にとってもいい事。
私も、イタリアオペラを習っている身。
いつか、一緒に本格的に歌いたいものだ。

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2025年2月 2日 (日)

アスカ級強襲揚陸艦「バンクーバー」完成!

250202092927762この度、約1か月掛けて、宇宙戦艦ヤマト3199に登場する
アスカ級強襲揚陸艦「バンクーバー」を完成させた。

この艦は、宇宙戦艦ヤマト2205に登場する
ドレッドノート改級補給母艦「アスカ」を強襲揚陸艦として改造した船。

2205では、ヒュウガ級戦闘空母「ヒュウガ」が居たが、どういう訳か未発売。
発売を待っていたが音沙汰がないので、先に「バンクーバー」を製作した。

昨年、「アスカ」を作成していたので、ただ組み立てるだけだったら容易だった。
造形が全く同じなので、構成する部品も同じ。
違ったのは、カラーリングと水転写デカール(シール)。

実は、今回のキットは、7隻のアスカ級が再現可能となっていた。
補給母艦型として、アスカ、オウミ、エルベ
強襲揚陸艦型として、バンクーバー、マミヤ、アムンゼン」、コロッサス
その内、バンクーバーを選んで製作した訳だ。

いつも通り、まずランナーごと部品を中性洗剤で洗った。
これは、部品に付着している剥離剤を洗い落とすため。
こうしておくと、後で塗装する際に、塗料がしっかりと付着してくれる。

その上で、部品を一つひとつ丁寧にランナーから切り離す。
さらに、切った後が残らないように、スポンジヤスリでヤスリ掛け。
部品が微小な場合は大変だが、手を抜かないように心掛けている。

最も神経を使うのが、塗装だ。
その点、バンダイのプラモは、成形色がイメージに近いので助かる。
そのため、実際に塗装するのは、小さな部品だけで済む事が多い。
塗装は、まさに0.1mm単位以下の精度で行う。
この塗装技術で、完成時のリアル感がまるで違って来る。

水転写デカールの貼付も、繊細な作業。
水に付けて糊が溶けた状態の薄いシールを、船体に貼って行く。
今回は、特に飛行甲板に貼る白い細いラインが曲者だった。
前後の曲がりを調整しつつ、左右の他のラインとの接続も勘案する。
途中で切ってしまったラインもあったが、それを修復するのも腕だ。

プラモと言えども、製作に当たっては、いろいろな力が試される。
段取り力、集中力、忍耐力等。
今後も、楽しみながら、これらの能力を高めて行きたい。

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